沖縄は日本固有の領土ではない [445]
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作成日時:2018/08/30 07:27:28
沖縄はもともと琉球王国が統治していたから日本固有の領土ではない。
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沖縄の日本復帰が最大の争点となった1968年11月10日の第1回行政主席通常選挙(沖縄初の主席選挙)は「沖縄の日本復帰」を主張した屋良朝苗氏と「沖縄の日本復帰は時期尚早」と主張した西銘順治氏による事実上の一騎打ちとなった。
対立候補の西銘氏は「いま沖縄が日本に復帰したら昔のように芋と裸足の生活になる」「沖縄の日本復帰は時期尚早」と主張して沖縄の日本復帰を主張していた屋良氏を痛烈に批判していた。
その当時、沖縄の有権者のほとんどが日本復帰を望んでいたなら沖縄の日本復帰を主張していた屋良氏がダブルスコアどころかトリプルスコアで大勝していたはずである。
ところが選挙の結果を見ると屋良氏が獲得した票数は23万7000票余りで、当時の沖縄の有権者数の46%にすぎず半数にも満たなかった。
一方、「沖縄の日本復帰は時期尚早」と主張して屋良氏を痛烈に批判した西銘氏は20万6000票余りを獲得した。
屋良氏と西銘氏の得票率を見ると54対46で、この結果が証明しているように、当時の沖縄は日本復帰に反対する人たちが相当数いたことが分かる。
だから本土の右派系論者たちが言っている「沖縄の人たちはみんな日本復帰を望んでいた」というのは事実と異なるし真っ赤な嘘だと言える。
「沖縄の日本復帰」を主張した屋良氏は共産党と社会党を中心とする革新勢力が応援していたが、その屋良氏を痛烈に批判して「沖縄の日本復帰は時期尚早」と主張した西銘氏を全力で応援したのは日本政府と自民党本部だったという事実は実に皮肉なものである。
この歴史的事実は今の日本政府や自民党あるいは右派系論者にとっては触れられたくない不都合な真実である。
対立候補の西銘氏は「いま沖縄が日本に復帰したら昔のように芋と裸足の生活になる」「沖縄の日本復帰は時期尚早」と主張して沖縄の日本復帰を主張していた屋良氏を痛烈に批判していた。
その当時、沖縄の有権者のほとんどが日本復帰を望んでいたなら沖縄の日本復帰を主張していた屋良氏がダブルスコアどころかトリプルスコアで大勝していたはずである。
ところが選挙の結果を見ると屋良氏が獲得した票数は23万7000票余りで、当時の沖縄の有権者数の46%にすぎず半数にも満たなかった。
一方、「沖縄の日本復帰は時期尚早」と主張して屋良氏を痛烈に批判した西銘氏は20万6000票余りを獲得した。
屋良氏と西銘氏の得票率を見ると54対46で、この結果が証明しているように、当時の沖縄は日本復帰に反対する人たちが相当数いたことが分かる。
だから本土の右派系論者たちが言っている「沖縄の人たちはみんな日本復帰を望んでいた」というのは事実と異なるし真っ赤な嘘だと言える。
「沖縄の日本復帰」を主張した屋良氏は共産党と社会党を中心とする革新勢力が応援していたが、その屋良氏を痛烈に批判して「沖縄の日本復帰は時期尚早」と主張した西銘氏を全力で応援したのは日本政府と自民党本部だったという事実は実に皮肉なものである。
この歴史的事実は今の日本政府や自民党あるいは右派系論者にとっては触れられたくない不都合な真実である。
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沖縄の歴史を遡れば分かるが、琉球王国時代は日本より中国との交流が盛んだった。
現在の沖縄に残っている琉球料理、琉球舞踊、琉球空手、琉球漆器、琉球染物、琉球民謡などはそのほとんどが日本ではなく中国の影響を受けたものである。
ちなみに沖縄の県庁所在地である那覇市と中国の福建省福州市は友好都市の関係にあり、さまざまな文化交流事業を行っている。
沖縄みたいにここまで深く文化交流を重ねている地域は日本国内にはない。
現在の沖縄に残っている琉球料理、琉球舞踊、琉球空手、琉球漆器、琉球染物、琉球民謡などはそのほとんどが日本ではなく中国の影響を受けたものである。
ちなみに沖縄の県庁所在地である那覇市と中国の福建省福州市は友好都市の関係にあり、さまざまな文化交流事業を行っている。
沖縄みたいにここまで深く文化交流を重ねている地域は日本国内にはない。
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沖縄の歴史を遡れば分かるが、琉球王国時代は日本より中国との交流が盛んだった。
現在の沖縄に残っている琉球料理、琉球舞踊、琉球空手、琉球漆器、琉球染物、琉球民謡などはそのほとんどが日本ではなく中国の影響を受けたものである。
ちなみに沖縄の県庁所在地である那覇市と中国の福建省福州市は友好都市の関係にあり、さまざまな文化交流事業を行っている。
那覇市みたいにここまで深く文化交流を重ねている地域は日本国内にはない。
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日本政府は「尖閣諸島は我が国固有の領土」と主張しているが、日本政府の主張には国際法上の根拠がない。
国際法を根拠に「尖閣諸島は我が国固有の領土」と言えるなら、日本政府は国際法上の根拠を明らかにできるはずだが、日本政府はその根拠を明らかにできない。
なぜ日本政府が国際法上の根拠を明らかにできないかというと、国際法には固有の領土に関する条文がないし、固有の領土に関する国際社会共通の定義もないから。
日本政府は国際法上の根拠がないのに「尖閣諸島が日本固有の領土であることは国際法上も明らか」と外務省のホームページに書いているから実に滑稽である。
国際法を根拠に「尖閣諸島は我が国固有の領土」と言えるなら、日本政府は国際法上の根拠を明らかにできるはずだが、日本政府はその根拠を明らかにできない。
なぜ日本政府が国際法上の根拠を明らかにできないかというと、国際法には固有の領土に関する条文がないし、固有の領土に関する国際社会共通の定義もないから。
日本政府は国際法上の根拠がないのに「尖閣諸島が日本固有の領土であることは国際法上も明らか」と外務省のホームページに書いているから実に滑稽である。
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日本語は日本固有の文字だけで成り立っている言語ではない。
その証拠に日本語には中国から取り入れた漢字が含まれる。
漢字発祥の地は中国だから、その漢字が含まれる日本語は日本固有の文字から成り立っている言語とは言えない。
その証拠に日本語には中国から取り入れた漢字が含まれる。
漢字発祥の地は中国だから、その漢字が含まれる日本語は日本固有の文字から成り立っている言語とは言えない。
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沖縄は日本が併合する以前は琉球王国が統治していた地域だから日本固有の領土ではない。
なので「尖閣諸島は日本固有の領土」と主張する日本政府が「尖閣諸島は沖縄県に属する」と言うのは矛盾している。
なので「尖閣諸島は日本固有の領土」と主張する日本政府が「尖閣諸島は沖縄県に属する」と言うのは矛盾している。
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日本語は日本固有の文字から成り立っている言語ではない。
なぜなら日本語には中国をルーツに持つ漢字が多く含まれているから。
漢字を最初に使ったのは中国であって日本ではない。
だから日本語は日本固有の文字から成り立っている言語とは言えない。
なぜなら日本語には中国をルーツに持つ漢字が多く含まれているから。
漢字を最初に使ったのは中国であって日本ではない。
だから日本語は日本固有の文字から成り立っている言語とは言えない。
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最終決定版
尖閣諸島どころか沖縄自体が日本固有の領土とは言えない。
その証拠に沖縄はもともと琉球王国が統治していた地域で、その琉球王国は日本の領土ではなかった。
国語辞典の大辞泉には「固有」とは「本来持っていること」と書かれているし、「本来」とは「もともとそうであること」と書かれている。
また「領土」とは「国家の統治権が及ぶ区域」あるいは「国家の主権が及ぶ範囲の土地」と書かれている。
沖縄の前身である琉球王国に日本の主権が及んでいなかったことは141年前の1879年3月27日に日本政府が軍隊を動員して武力的威嚇のもと琉球王国を併合したことで証明されている。
琉球王国が日本の領土だったなら日本政府がわざわざ軍隊を動員して琉球王国を併合するわけがないし、併合する必要もない。
琉球王国が日本の領土でなかったことは皮肉なことに日本政府が軍隊を動員してその琉球王国を武力的威嚇のもと併合したことで自ら証明してしまった。
ゆえにその琉球王国を前身に持つ現在の沖縄は日本固有の領土とは言えないし、日本政府が主張するように尖閣諸島がその沖縄に属するのであれば尖閣諸島も日本固有の領土ではないということになる。
尖閣諸島どころか沖縄自体が日本固有の領土とは言えない。
その証拠に沖縄はもともと琉球王国が統治していた地域で、その琉球王国は日本の領土ではなかった。
国語辞典の大辞泉には「固有」とは「本来持っていること」と書かれているし、「本来」とは「もともとそうであること」と書かれている。
また「領土」とは「国家の統治権が及ぶ区域」あるいは「国家の主権が及ぶ範囲の土地」と書かれている。
沖縄の前身である琉球王国に日本の主権が及んでいなかったことは141年前の1879年3月27日に日本政府が軍隊を動員して武力的威嚇のもと琉球王国を併合したことで証明されている。
琉球王国が日本の領土だったなら日本政府がわざわざ軍隊を動員して琉球王国を併合するわけがないし、併合する必要もない。
琉球王国が日本の領土でなかったことは皮肉なことに日本政府が軍隊を動員してその琉球王国を武力的威嚇のもと併合したことで自ら証明してしまった。
ゆえにその琉球王国を前身に持つ現在の沖縄は日本固有の領土とは言えないし、日本政府が主張するように尖閣諸島がその沖縄に属するのであれば尖閣諸島も日本固有の領土ではないということになる。
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そもそも日本には領土を確定する法律が存在しないし、「固有の領土」という言葉は国際法のどの条文にも存在しないから、日本政府に「沖縄が日本固有の領土であることの法的根拠を示せるか?」と質問しても、日本政府が法的根拠を挙げて沖縄が日本固有の領土であることを説明できるわけがない。
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尖閣諸島どころか沖縄自体が日本固有の領土とは言えない。
その証拠に沖縄はもともと琉球王国が統治していた地域で、その琉球王国は日本の領土ではなかった。
国語辞典の大辞泉には「固有」とは「本来持っていること」と書かれているし、「本来」とは「もともとそうであること」と書かれている。
また「領土」とは「国家の統治権が及ぶ区域」あるいは「国家の主権が及ぶ範囲の土地」と書かれている。
沖縄の前身である琉球王国に日本の主権が及んでいなかったことは141年前の1879年3月27日に日本政府が軍隊を動員して武力的威嚇のもと琉球王国を併合したことで証明されている。
琉球王国が日本の領土だったなら日本政府がわざわざ軍隊を動員して琉球王国を併合するわけがないし、併合する必要もない。
琉球王国が日本の領土でなかったことは皮肉なことに日本政府が軍隊を動員してその琉球王国を武力的威嚇のもと併合したことで自ら証明してしまった。
ゆえにその琉球王国を前身に持つ現在の沖縄は日本固有の領土とは言えないし、日本固有の領土ではない沖縄に属する尖閣諸島も日本固有の領土とは言えない。
その証拠に沖縄はもともと琉球王国が統治していた地域で、その琉球王国は日本の領土ではなかった。
国語辞典の大辞泉には「固有」とは「本来持っていること」と書かれているし、「本来」とは「もともとそうであること」と書かれている。
また「領土」とは「国家の統治権が及ぶ区域」あるいは「国家の主権が及ぶ範囲の土地」と書かれている。
沖縄の前身である琉球王国に日本の主権が及んでいなかったことは141年前の1879年3月27日に日本政府が軍隊を動員して武力的威嚇のもと琉球王国を併合したことで証明されている。
琉球王国が日本の領土だったなら日本政府がわざわざ軍隊を動員して琉球王国を併合するわけがないし、併合する必要もない。
琉球王国が日本の領土でなかったことは皮肉なことに日本政府が軍隊を動員してその琉球王国を武力的威嚇のもと併合したことで自ら証明してしまった。
ゆえにその琉球王国を前身に持つ現在の沖縄は日本固有の領土とは言えないし、日本固有の領土ではない沖縄に属する尖閣諸島も日本固有の領土とは言えない。
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併合した国が併合された国に対して「独立しろ」とは笑止千万。
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そもそも日本には領土を確定する国内法が存在しないし、「固有の領土」という言葉は国際法のどの条文にも存在しないから、日本政府に「沖縄が日本固有の領土であることの法的根拠を説明できるか?」と質問しても日本政府が法的根拠を挙げて説明できるわけがない。
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日本政府の説明によると尖閣諸島の行政管轄自治体は沖縄県石垣市ということになっている。
その沖縄県石垣市は先島諸島に含まれるが、日本政府は過去に一度も「先島諸島は日本固有の領土」と主張したことがないし、「沖縄は日本固有の領土」と主張したこともない。
どうやら日本政府が「日本固有の領土」と主張できるのは尖閣諸島だけのようで、尖閣諸島以外の沖縄の159の島々については「日本固有の領土」と言えないようだ。
その沖縄県石垣市は先島諸島に含まれるが、日本政府は過去に一度も「先島諸島は日本固有の領土」と主張したことがないし、「沖縄は日本固有の領土」と主張したこともない。
どうやら日本政府が「日本固有の領土」と主張できるのは尖閣諸島だけのようで、尖閣諸島以外の沖縄の159の島々については「日本固有の領土」と言えないようだ。
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琉球語には日本語の 「て、に、を、は」がない。
例えば日本語で「あの人は」は琉球語では「あぬちょー」 と言い、琉球語では「は」の部分が「-」になる。
ただし、琉球語の中でも首里語は日本語の影響で「あぬちゅや」のように「-」が変化して「や」になってしまったといわれている。
元来の琉球語に「て、に、を、は」がないことからもわかるように、琉球語は日本語から分岐した言語ではなく、日本政府による併合の過程で言葉のやりとりをした結果、琉球語には日本語的な言い回しが加えられるようになっていったというのが琉球大学名誉教授らの見解である。
沖縄では現在でも高齢者が日本語のことを「ヤマトグチ」と言って、自分たちが話すウチナーグチとはっきり分けている。
ちなみに日本語の母音は「あ、い、う、え、お」だが、琉球語の母音は「あ、い、う、い、う」となり、日本語の母音の「え、お」が琉球語にはない。
例えば「心(こころ)」の母音はすべて「お」だが、琉球語では「心(くくる)」となり、母音はすべて「う」である。
例えば日本語で「あの人は」は琉球語では「あぬちょー」 と言い、琉球語では「は」の部分が「-」になる。
ただし、琉球語の中でも首里語は日本語の影響で「あぬちゅや」のように「-」が変化して「や」になってしまったといわれている。
元来の琉球語に「て、に、を、は」がないことからもわかるように、琉球語は日本語から分岐した言語ではなく、日本政府による併合の過程で言葉のやりとりをした結果、琉球語には日本語的な言い回しが加えられるようになっていったというのが琉球大学名誉教授らの見解である。
沖縄では現在でも高齢者が日本語のことを「ヤマトグチ」と言って、自分たちが話すウチナーグチとはっきり分けている。
ちなみに日本語の母音は「あ、い、う、え、お」だが、琉球語の母音は「あ、い、う、い、う」となり、日本語の母音の「え、お」が琉球語にはない。
例えば「心(こころ)」の母音はすべて「お」だが、琉球語では「心(くくる)」となり、母音はすべて「う」である。
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琉球王国時代の第二尚氏琉球王朝の王族である久米具志川王子朝盈によって詠まれた「石なぐの歌」は琉歌であり、琉球王国の国歌ともいわれている。
琉球王国は現在の沖縄県の前身で、当時の琉球王国は日本の領土ではなく、江戸幕府も琉球を異国と位置付けていた。
日本の主権が及ばなかった琉球王国は独自の外交権を行使して1854年にアメリカと琉米修好条約を結び、1855年にはフランスと琉仏修好条約を、1859年にはオランダと琉蘭修好条約を結んでいる。
1854年7月11日に琉球王国とアメリカが結んだ琉米修好条約は、翌年の1855年3月9日にアメリカ議会で批准され、さらに同日、第14代大統領のフランクリン・ピアースによって公布されている。
このように琉球王国は条約締結、批准、大統領による公布の3点セットでアメリカから独立国と認められていた。
琉球王国は現在の沖縄県の前身で、当時の琉球王国は日本の領土ではなく、江戸幕府も琉球を異国と位置付けていた。
日本の主権が及ばなかった琉球王国は独自の外交権を行使して1854年にアメリカと琉米修好条約を結び、1855年にはフランスと琉仏修好条約を、1859年にはオランダと琉蘭修好条約を結んでいる。
1854年7月11日に琉球王国とアメリカが結んだ琉米修好条約は、翌年の1855年3月9日にアメリカ議会で批准され、さらに同日、第14代大統領のフランクリン・ピアースによって公布されている。
このように琉球王国は条約締結、批准、大統領による公布の3点セットでアメリカから独立国と認められていた。
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