往年の名選手 [1275]
作成者:大胆細心
作成日時:2005/03/08 17:05:08
これまで沖縄からはプロ野球選手が延べ40人以上誕生していますが、プロ、アマ問わず、沖縄県民を熱狂の渦に巻き込んだ選手は数え切れません。
まだ沖縄の高校野球のレベルが低かったころから今日に至るまで、みなさんの記憶に残る名選手をここで紹介してください。
投稿メッセージを表示( 1275 件中 61 件 〜 80 件目)
神山監督時代のショート末吉さんは本当に凄かったよ。その凄い動きを那覇商のコーチとなって指導し、今は中商の教師になって、コーチもしているらしく、選手に評判がいいらしいよ。商業教師って聞いたので、浦商の次は末吉さんが時代を作るのではないですか。
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西銘選手は今まで見たことない人材
自分の中でNO1
ドラフトの可能性ありだろ
自分の中でNO1
ドラフトの可能性ありだろ
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末吉って誰?
那覇商業に末吉ってショートいなかったよ!
那覇商業に末吉ってショートいなかったよ!
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図星過ぎて、話を変えて来たか。
テレビがないって言われた事がよほど気に障ったとみた。
どーでもいいことで、突っかかって来たのは誰なのか。かわいそ。
ここはどーでもいいことを話ちゃ駄目だのかな。
76 74さん
投稿者:どうでも良いが [61.213.124.115] 投稿日時:2008/08/19 19:23:22
どうでもいいけど、
>往年の名選手だろ?
って、あなたは「往年」という意味を知って書いてますか?
この場合、往年というのは最低でも10年以上という年数を経た方達のことを
「往年の」と言うんですよ、だから、プロで言えば長島とか王とか、野村とかね
それにね、知らない方に「おまえ」は良くないな、「御前」ならいいけどね、
あまりに無知で乱暴な書き込みだから あえて書き込みしました。失礼。
あらら、あなたこそどうでもいい話に必死だね。
往年の意味でこんな熱い方初めてみました。
おまえって言われたくらいで熱くなる方初めてみました。
>>それも過去の人間によ、大丈夫か?おまえ、
私も先ほどむしょーに熱い方に言われました。しかも知らない人に。
いえ、わたしはおまえって言われたくらいで熱くはなれません。
テレビがないって言われた事がよほど気に障ったとみた。
どーでもいいことで、突っかかって来たのは誰なのか。かわいそ。
ここはどーでもいいことを話ちゃ駄目だのかな。
76 74さん
投稿者:どうでも良いが [61.213.124.115] 投稿日時:2008/08/19 19:23:22
どうでもいいけど、
>往年の名選手だろ?
って、あなたは「往年」という意味を知って書いてますか?
この場合、往年というのは最低でも10年以上という年数を経た方達のことを
「往年の」と言うんですよ、だから、プロで言えば長島とか王とか、野村とかね
それにね、知らない方に「おまえ」は良くないな、「御前」ならいいけどね、
あまりに無知で乱暴な書き込みだから あえて書き込みしました。失礼。
あらら、あなたこそどうでもいい話に必死だね。
往年の意味でこんな熱い方初めてみました。
おまえって言われたくらいで熱くなる方初めてみました。
>>それも過去の人間によ、大丈夫か?おまえ、
私も先ほどむしょーに熱い方に言われました。しかも知らない人に。
いえ、わたしはおまえって言われたくらいで熱くはなれません。
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どう考えても西銘より山内が上でしょう。日本高校選抜候補まで上がってたし。でも1番は沖水の大城直也だろ!
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何が言いたいのか、さっぱり意味が、わっかりましぇ〜ん┐('〜`;)┌
ハイ、アタマの差でお前の負けです!
ハイ、アタマの差でお前の負けです!
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俺も大城直也知ってる。確かにすごい選手だったね。
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山内はまぢ上手い!
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やっぱり沖尚の山内と八重商の金城長靖だよ!山内は小さい体で逆方向のライトに特大の当りを打てるまさに走・攻・守そろった選手!プロに行けなかったのは身長が足りないだけでした。金城長靖も小さい体でパワフルなスイング!甲子園でも春2本夏1本のホームランを打っています。センバツで外角の球を当てただけでレフトにホームランを打ったのは本当に驚きました(笑)この2人ほどの野球センスを持った選手はしばらく出ないという話も聞きました。
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山内の沖尚時代の試合見てみたいな〜 そんなに素晴らしい選手だったの?
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山内君は前嵩君、小泉君時代ですよね?のびのびと楽しそうに難しいプレーを笑顔でする選手だなーと思った。確かに身長はなかったけどセンスを感じるいい選手だったのは確か。
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誰?誰?
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明治いってるけどいまだにベンチにも入れないよ。
結局 全国にでたら通用しないんだね
結局 全国にでたら通用しないんだね
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肩壊してるんですよ。
もうベンチ入りは不可能でしょう。
でも明治で野球を続けてる事が凄い事ですがね。
下の方なら即退部するんじゃないですか?
もうベンチ入りは不可能でしょう。
でも明治で野球を続けてる事が凄い事ですがね。
下の方なら即退部するんじゃないですか?
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肘を痛めて、治す方法を教えてください
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1971年の選抜に出場した普天間の玉城善則投手、1972年の選抜と選手権に出場した名護の屋富祖謙投手、1973年の選抜と選手権に出場した前原の松野義秋投手がよかったですね。
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昭和54年、中部工の島田捕手、平成元年、石高の後藤遊撃手、平成4年、浦商の島本二塁手、平成8年、前高の島袋中堅手、平成12年、那覇高の潮平外野手
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1968年に中部農林からヤクルトに入団した上地英満、1974年にロッテに入団した上田正則(那覇商→沖縄大)、1975年にロッテに入団した池畑満也(浦添→沖縄大)など、沖縄からはドラフト外で入団した選手が結構います。
他には1979年に大洋に入団した前泊哲明(興南→日産自動車横浜)、1981年にヤクルトに入団した森長隆(八重山)、武内正行(八重山)、1982年に広島に入団した金城鉄治(沖縄水産)、新島修(美里)、1984年に南海に入団した平川敏明(興南)、1986年に大洋に入団した名幸一明(興南)といった選手たちがドラフト外でプロ入りしました。
興南から南海(現ソフトバンク)に入団した平川敏明投手は兵庫県からの野球留学生で、高校時代、公式戦での登板経験はなかったのですが、それでもドラフト外でプロ入りしています。
また、同じく興南から大洋(現横浜)に入団した名幸一明選手は現在、プロ野球の審判員として活躍されていますが、高校時代はプロで活躍したデ二ー友利投手とバッテリーを組んでいたことでも知られています。
沖縄大からは2年連続で上田正則投手(1974年)と池畑満也選手(1975年)がロッテにドラフト外で入団していますが、沖縄大は1972年と1973年に全国大学準硬式野球選手権大会で全国制覇を達成していて、両選手とも当時、無敵を誇った沖縄大の中心選手でした。
沖縄大は1974年にも準優勝しています。
他には1979年に大洋に入団した前泊哲明(興南→日産自動車横浜)、1981年にヤクルトに入団した森長隆(八重山)、武内正行(八重山)、1982年に広島に入団した金城鉄治(沖縄水産)、新島修(美里)、1984年に南海に入団した平川敏明(興南)、1986年に大洋に入団した名幸一明(興南)といった選手たちがドラフト外でプロ入りしました。
興南から南海(現ソフトバンク)に入団した平川敏明投手は兵庫県からの野球留学生で、高校時代、公式戦での登板経験はなかったのですが、それでもドラフト外でプロ入りしています。
また、同じく興南から大洋(現横浜)に入団した名幸一明選手は現在、プロ野球の審判員として活躍されていますが、高校時代はプロで活躍したデ二ー友利投手とバッテリーを組んでいたことでも知られています。
沖縄大からは2年連続で上田正則投手(1974年)と池畑満也選手(1975年)がロッテにドラフト外で入団していますが、沖縄大は1972年と1973年に全国大学準硬式野球選手権大会で全国制覇を達成していて、両選手とも当時、無敵を誇った沖縄大の中心選手でした。
沖縄大は1974年にも準優勝しています。
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1982年の新島修選手(美里)は中日への入団でした。
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「沖縄県高等学校野球史(第二巻)」(昭和47年~昭和60年)を見ていて、懐かしい名前が目に入りました。
興南からドラフト外で大洋(現横浜)に入団した前泊哲明投手です。
前泊さんは西表島出身。石垣島の中学校から興南に進み、日産自動車横浜を経て1979年に大洋(現横浜)に入団しました。
182センチの右投げ本格派投手で、甲子園の出場経験はありませんが、プロでは一軍で巨人を相手に勝利投手になったこともあります。
離島からは石垣島や宮古島からプロ野球選手が何人か誕生していますが、西表島出身のプロ野球選手は、この前泊投手が初めてです。
前泊さんは高校1年の夏から外野手としてレギュラーの座を獲得し、1年生ながら打順は3番でした。
1973年夏の沖縄県大会準々決勝、興南-豊見城の試合でも前泊さんは3番に入っていますが、この試合のスコアとスタメンをご紹介します。
豊見城 000000000|0
興 南 00000300× |3
<興南>
1番 宮里(中堅)
2番 比嘉(捕手)
3番 前泊(右翼)
4番 池村(遊撃)
5番 神谷(投手)
6番 岸本(三塁)
7番 大城健(左翼)
8番 砂川(一塁)
9番 金城(二塁)
<豊見城>
1番 上原篤(三塁)
2番 船越(二塁)
3番 国仲(一塁)
4番 宮里(捕手)
5番 中村(遊撃)
6番 新垣恒(中堅)
7番 迎里(投手)
8番 渡慶次(左翼)
9番 上原悟(右翼)
※豊見城の3番打者・国仲選手は、2001年にNHKで放送された連続テレビ小説「ちゅらさん」で主演を演じた国仲涼子さんのお父さんです。
興南からドラフト外で大洋(現横浜)に入団した前泊哲明投手です。
前泊さんは西表島出身。石垣島の中学校から興南に進み、日産自動車横浜を経て1979年に大洋(現横浜)に入団しました。
182センチの右投げ本格派投手で、甲子園の出場経験はありませんが、プロでは一軍で巨人を相手に勝利投手になったこともあります。
離島からは石垣島や宮古島からプロ野球選手が何人か誕生していますが、西表島出身のプロ野球選手は、この前泊投手が初めてです。
前泊さんは高校1年の夏から外野手としてレギュラーの座を獲得し、1年生ながら打順は3番でした。
1973年夏の沖縄県大会準々決勝、興南-豊見城の試合でも前泊さんは3番に入っていますが、この試合のスコアとスタメンをご紹介します。
豊見城 000000000|0
興 南 00000300× |3
<興南>
1番 宮里(中堅)
2番 比嘉(捕手)
3番 前泊(右翼)
4番 池村(遊撃)
5番 神谷(投手)
6番 岸本(三塁)
7番 大城健(左翼)
8番 砂川(一塁)
9番 金城(二塁)
<豊見城>
1番 上原篤(三塁)
2番 船越(二塁)
3番 国仲(一塁)
4番 宮里(捕手)
5番 中村(遊撃)
6番 新垣恒(中堅)
7番 迎里(投手)
8番 渡慶次(左翼)
9番 上原悟(右翼)
※豊見城の3番打者・国仲選手は、2001年にNHKで放送された連続テレビ小説「ちゅらさん」で主演を演じた国仲涼子さんのお父さんです。
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