沖縄は日本固有の領土ではない [454]
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作成日時:2018/08/30 07:27:28
沖縄はもともと琉球王国が統治していたから日本固有の領土ではない。
投稿メッセージを表示( 454 件中 296 件 〜 315 件目)
訂正
沖縄の前身である琉球王国は自然に消滅したわけではなく、日本政府が領土拡大という目的で軍隊を動員して消滅させたというのが歴史的事実。
琉球王国を消滅させた主体が日本政府なのだから、その日本政府が「沖縄は日本固有の領土」なんて口が裂けても言えるわけがない。
事実、日本政府はこれまでただの一度も「沖縄は日本固有の領土」と言ったことがない。
軍隊を動員して武力的威嚇のもと併合しておきながら、その併合した地域を「我が国固有の領土」などと主張すると、それこそ世界の笑いものになる。
だから1898年にハワイ王国を併合したアメリカは「ハワイはアメリカ固有の領土」とは絶対に言わないし、もともとロシアの領土で経済的支援を受けた見返りとしてアメリカに割譲したアラスカ州についても「アラスカ州はアメリカ固有の領土」とは絶対に言わない。
また、ニューメキシコ州もアメリカが力ずくでメキシコから奪い取った地域だからアメリカは「ニューメキシコ州はアメリカ固有の領土」とは絶対に言わない。
仮に日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と主張してもアメリカは絶対に認めない。
なぜならアメリカは1854年7月11日に、沖縄の前身である琉球王国と琉米修好条約を結んでいるし、翌年の1855年3月9日にはアメリカ議会が同条約の締結を批准していて、同日、第14代大統領のフランクリン・ピアースが同条約の批准を公布している。
批准とは「国家間で結んだ国際条約を当事国の議会が承認する」という意味で、公布とは「新たに結んだ国際条約や新たに成立した法律などを国民に広く知らせる」という意味である。
アメリカは琉球王国を外交権を持つ主権国家と認めていたからこそ、琉球王国と琉米修好条約を締結したわけだから、その琉球王国を前身に持つ現在の沖縄を日本固有の領土と思っているわけがなく、日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と主張したとしても上記の歴史的経緯があるからアメリカは日本政府の主張を絶対に認めないだろう。
沖縄の前身である琉球王国は自然に消滅したわけではなく、日本政府が領土拡大という目的で軍隊を動員して消滅させたというのが歴史的事実。
琉球王国を消滅させた主体が日本政府なのだから、その日本政府が「沖縄は日本固有の領土」なんて口が裂けても言えるわけがない。
事実、日本政府はこれまでただの一度も「沖縄は日本固有の領土」と言ったことがない。
軍隊を動員して武力的威嚇のもと併合しておきながら、その併合した地域を「我が国固有の領土」などと主張すると、それこそ世界の笑いものになる。
だから1898年にハワイ王国を併合したアメリカは「ハワイはアメリカ固有の領土」とは絶対に言わないし、もともとロシアの領土で経済的支援を受けた見返りとしてアメリカに割譲したアラスカ州についても「アラスカ州はアメリカ固有の領土」とは絶対に言わない。
また、ニューメキシコ州もアメリカが力ずくでメキシコから奪い取った地域だからアメリカは「ニューメキシコ州はアメリカ固有の領土」とは絶対に言わない。
仮に日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と主張してもアメリカは絶対に認めない。
なぜならアメリカは1854年7月11日に、沖縄の前身である琉球王国と琉米修好条約を結んでいるし、翌年の1855年3月9日にはアメリカ議会が同条約の締結を批准していて、同日、第14代大統領のフランクリン・ピアースが同条約の批准を公布している。
批准とは「国家間で結んだ国際条約を当事国の議会が承認する」という意味で、公布とは「新たに結んだ国際条約や新たに成立した法律などを国民に広く知らせる」という意味である。
アメリカは琉球王国を外交権を持つ主権国家と認めていたからこそ、琉球王国と琉米修好条約を締結したわけだから、その琉球王国を前身に持つ現在の沖縄を日本固有の領土と思っているわけがなく、日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と主張したとしても上記の歴史的経緯があるからアメリカは日本政府の主張を絶対に認めないだろう。
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沖縄の前身である琉球王国は自然に消滅したわけではなく、日本政府が領土拡大という目的で軍隊を動員して消滅させたというのが歴史的事実。
琉球王国を消滅させた主体が日本政府なのだから、その日本政府が「沖縄は日本固有の領土」なんて口が裂けても言えるわけがない。
事実、日本政府はこれまでただの一度も「沖縄は日本固有の領土」と言ったことがない。
軍隊を動員して武力的威嚇のもと併合しておきながら、その併合した地域を「我が国固有の領土」などと主張すると、それこそ世界の笑いものになる。
だから1898年にハワイ王国を併合したアメリカは「ハワイはアメリカ固有の領土」とは絶対に言わないし、もともとロシアの領土で経済的支援を受けた見返りとしてアメリカに割譲したアラスカ州についても「アラスカ州はアメリカ固有の領土」とは絶対に言わない。
また、ニューメキシコ州もアメリカが力ずくでメキシコから奪い取った地域だからアメリカは「ニューメキシコ州はアメリカ固有の領土」とは絶対に言わない。
仮に日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と主張してもアメリカは絶対に認めない。
なぜならアメリカは1854年7月11日に、沖縄の前身である琉球王国と琉米修好条約を結んでいるし、翌年の1855年3月9日にはアメリカ議会が同条約の締結を批准していて、同日、第14代大統領のフランクリン・ピアースが同条約の批准を公布している。
批准とは「国家間で結んだ国際条約を当事国の議会が承認する」という意味で、公布とは「新たに結んだ国際条約や法律などを広く国民に知らせる」という意味である。
アメリカは琉球王国を外交権を持つ主権国家と認めていたからこそ、琉球王国と琉米修好条約を締結したわけだから、その琉球王国を前身に持つ現在の沖縄を日本固有の領土と思っているわけがなく、日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と主張したとしても上記の歴史的経緯があるからアメリカは日本政府の主張を絶対に認めないだろう。
琉球王国を消滅させた主体が日本政府なのだから、その日本政府が「沖縄は日本固有の領土」なんて口が裂けても言えるわけがない。
事実、日本政府はこれまでただの一度も「沖縄は日本固有の領土」と言ったことがない。
軍隊を動員して武力的威嚇のもと併合しておきながら、その併合した地域を「我が国固有の領土」などと主張すると、それこそ世界の笑いものになる。
だから1898年にハワイ王国を併合したアメリカは「ハワイはアメリカ固有の領土」とは絶対に言わないし、もともとロシアの領土で経済的支援を受けた見返りとしてアメリカに割譲したアラスカ州についても「アラスカ州はアメリカ固有の領土」とは絶対に言わない。
また、ニューメキシコ州もアメリカが力ずくでメキシコから奪い取った地域だからアメリカは「ニューメキシコ州はアメリカ固有の領土」とは絶対に言わない。
仮に日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と主張してもアメリカは絶対に認めない。
なぜならアメリカは1854年7月11日に、沖縄の前身である琉球王国と琉米修好条約を結んでいるし、翌年の1855年3月9日にはアメリカ議会が同条約の締結を批准していて、同日、第14代大統領のフランクリン・ピアースが同条約の批准を公布している。
批准とは「国家間で結んだ国際条約を当事国の議会が承認する」という意味で、公布とは「新たに結んだ国際条約や法律などを広く国民に知らせる」という意味である。
アメリカは琉球王国を外交権を持つ主権国家と認めていたからこそ、琉球王国と琉米修好条約を締結したわけだから、その琉球王国を前身に持つ現在の沖縄を日本固有の領土と思っているわけがなく、日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と主張したとしても上記の歴史的経緯があるからアメリカは日本政府の主張を絶対に認めないだろう。
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>>37
1968年11月10日に行われた第1回行政主席通常選挙で勝ったのは「日本復帰」と「米軍基地の即時無条件全面返還」を主張した屋良朝苗氏で、その屋良氏を推薦したのは共産党と社会党を中心とする革新勢力だった。
敗れたのは自民党が応援した西銘順治氏で、西銘氏は「いま沖縄が日本に復帰したら芋と裸足の生活になる」として「沖縄の日本復帰は時期尚早である」と主張した。
1968年11月10日に行われた第1回行政主席通常選挙で勝ったのは「日本復帰」と「米軍基地の即時無条件全面返還」を主張した屋良朝苗氏で、その屋良氏を推薦したのは共産党と社会党を中心とする革新勢力だった。
敗れたのは自民党が応援した西銘順治氏で、西銘氏は「いま沖縄が日本に復帰したら芋と裸足の生活になる」として「沖縄の日本復帰は時期尚早である」と主張した。
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1910年に日本が朝鮮半島を併合したとき、日本政府は「朝鮮半島は日本固有の領土」と主張しなかった。
この件で外務省国際法課に聞いてみたところ、「日本が併合した地域は日本固有の領土という言い方はしません」という回答だった。
その理由を聞いたら「日本が併合したということは、それまでは日本の領土ではなかったからです」と説明していた。
そこで質問を変えて「日本政府が『沖縄は日本固有の領土』と主張しないのは、1879年3月27日に当時の日本政府が沖縄の前身である琉球王国に軍隊を派遣して武力的威嚇のもと併合した歴史的事実があるからでは?」と聞いてみたところ、外務省の職員は黙り込んでしまい、ぐうの音も出なかった。
この件で外務省国際法課に聞いてみたところ、「日本が併合した地域は日本固有の領土という言い方はしません」という回答だった。
その理由を聞いたら「日本が併合したということは、それまでは日本の領土ではなかったからです」と説明していた。
そこで質問を変えて「日本政府が『沖縄は日本固有の領土』と主張しないのは、1879年3月27日に当時の日本政府が沖縄の前身である琉球王国に軍隊を派遣して武力的威嚇のもと併合した歴史的事実があるからでは?」と聞いてみたところ、外務省の職員は黙り込んでしまい、ぐうの音も出なかった。
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1968年11月10日に沖縄で行われた第1回行政主席通常選挙は、沖縄自由民主党の西銘順治候補が立候補して、その西銘候補を自民党本部が応援した。
その西銘候補は「いま沖縄が日本に復帰したら芋と裸足の生活になる」と主張して早期の日本復帰に反対していた。
西銘候補が主張した「芋・裸足論」は当時の沖縄で大論争に発展した。
そしてその西銘候補は選挙に敗れた。
選挙に勝ったのは共産党や社会党が推薦した屋良朝苗候補で、屋良候補は米軍基地の無条件即時全面返還などを主張していた。
この厳然たる事実に対して百田尚樹、櫻井よしこ、竹田恒泰ら右派系論客のコメントが聞きたい。
その西銘候補は「いま沖縄が日本に復帰したら芋と裸足の生活になる」と主張して早期の日本復帰に反対していた。
西銘候補が主張した「芋・裸足論」は当時の沖縄で大論争に発展した。
そしてその西銘候補は選挙に敗れた。
選挙に勝ったのは共産党や社会党が推薦した屋良朝苗候補で、屋良候補は米軍基地の無条件即時全面返還などを主張していた。
この厳然たる事実に対して百田尚樹、櫻井よしこ、竹田恒泰ら右派系論客のコメントが聞きたい。
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1910年に日本が朝鮮半島を併合したとき、日本政府は「朝鮮半島は日本固有の領土」と主張しなかった。
この件で外務省国際法課に聞いてみたところ、「日本が併合した地域は日本固有の領土という言い方はしません」という回答だった。
その理由を聞いたら「日本が併合したということは、それまでは日本の領土ではなかったからです」と説明していた。
日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と主張しないのは、沖縄は日本が併合するまでは琉球王国が統治していたからなのは言うまでもない。
この件で外務省国際法課に聞いてみたところ、「日本が併合した地域は日本固有の領土という言い方はしません」という回答だった。
その理由を聞いたら「日本が併合したということは、それまでは日本の領土ではなかったからです」と説明していた。
日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と主張しないのは、沖縄は日本が併合するまでは琉球王国が統治していたからなのは言うまでもない。
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第1回行政主席通常選挙(1968年11月10日)
屋良朝苗(無所属、共産党、社会党推薦)=日本復帰を主張
得票数
23万7643票(得票率53・51%)
西銘順治(沖縄自由民主党)=日本復帰に反対を主張
得票数
20万6209票(得票率46・43%)
選挙に敗れた沖縄自由民主党の西銘順治氏は「沖縄がいま日本復帰すれば芋と裸足の生活に戻る」として日本復帰に反対の立場を取っていた。
一方、共産党や社会党が推薦した屋良朝苗氏は「米軍基地の即時無条件全面返還」を掲げて立候補し、この政策が沖縄の有権者から支持されて見事当選を果たした。
屋良朝苗(無所属、共産党、社会党推薦)=日本復帰を主張
得票数
23万7643票(得票率53・51%)
西銘順治(沖縄自由民主党)=日本復帰に反対を主張
得票数
20万6209票(得票率46・43%)
選挙に敗れた沖縄自由民主党の西銘順治氏は「沖縄がいま日本復帰すれば芋と裸足の生活に戻る」として日本復帰に反対の立場を取っていた。
一方、共産党や社会党が推薦した屋良朝苗氏は「米軍基地の即時無条件全面返還」を掲げて立候補し、この政策が沖縄の有権者から支持されて見事当選を果たした。
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沖縄初の主席公選(1968年11月10日)
屋良朝苗(無所属)=日本復帰を主張
得票数
23万7643票(得票率53・51%)
西銘順治(沖縄自由民主党)=日本復帰に反対を主張
得票数
20万6209票(得票率46・43%)
日本復帰に反対を主張していた西銘順治氏に投票した沖縄人は20万6209人もいた。
この割合は全投票者数の46・43%に当たるので、当時の沖縄人の半数近くは日本復帰に反対だったことになる。
したがって、右派系論者たちがこれまで言っていた「沖縄の人たちはみんな日本への復帰を望んでいた」というのは真っ赤な嘘である。
屋良朝苗(無所属)=日本復帰を主張
得票数
23万7643票(得票率53・51%)
西銘順治(沖縄自由民主党)=日本復帰に反対を主張
得票数
20万6209票(得票率46・43%)
日本復帰に反対を主張していた西銘順治氏に投票した沖縄人は20万6209人もいた。
この割合は全投票者数の46・43%に当たるので、当時の沖縄人の半数近くは日本復帰に反対だったことになる。
したがって、右派系論者たちがこれまで言っていた「沖縄の人たちはみんな日本への復帰を望んでいた」というのは真っ赤な嘘である。
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1968年11月10日に行われた沖縄初の主席公選で保守系候補として出馬した西銘順治氏は「沖縄が本土に復帰すると芋と裸足の生活に戻る」と主張して復帰に反対していた。
その西銘順治氏に投票した人は20万人余り。
だから右派系論者たちが「沖縄の人たちはみんな本土復帰を望んでいた」というのは真っ赤な嘘である。
ちなみに西銘順治氏はその後、衆議院議員を務め、沖縄県知事も2期務めている。
その西銘順治氏に投票した人は20万人余り。
だから右派系論者たちが「沖縄の人たちはみんな本土復帰を望んでいた」というのは真っ赤な嘘である。
ちなみに西銘順治氏はその後、衆議院議員を務め、沖縄県知事も2期務めている。
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訂正
沖縄の復帰運動というのは一部の人たちがやったことであって大半の人は復帰運動に参加していなかったし、実際、選挙の結果を見ても分かるように復帰を望んでいた人は全体の半数もいなかった。
その証拠に、日本復帰を主張して立候補した屋良朝苗氏の得票率は46%にとどまった。
沖縄の復帰運動というのは一部の人たちがやったことであって大半の人は復帰運動に参加していなかったし、実際、選挙の結果を見ても分かるように復帰を望んでいた人は全体の半数もいなかった。
その証拠に、日本復帰を主張して立候補した屋良朝苗氏の得票率は46%にとどまった。
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沖縄の復帰運動というのは一部の人たちがやったことであって大半の人は復帰運動に参加していなかったし、実際、選挙の結果を見ても分かるように復帰を望んでいた人は全体の半数もいなかった。
その証拠に、日本復帰を主張して立候補した屋良朝苗氏のの得票率は46%にとどまった。
その証拠に、日本復帰を主張して立候補した屋良朝苗氏のの得票率は46%にとどまった。
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訂正
沖縄の復帰運動というのは一部の人たちがやったことであって大半の人は復帰運動に参加していない。
その証拠に、日本復帰を主張して立候補した屋良朝苗氏の得票率は46%にとどまった。
沖縄の復帰運動というのは一部の人たちがやったことであって大半の人は復帰運動に参加していない。
その証拠に、日本復帰を主張して立候補した屋良朝苗氏の得票率は46%にとどまった。
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沖縄の復帰運動というのは一部の人たちがやったことであって大半の人は復帰運動に参加していない。
その証拠に、日本復帰を主張して立候補した屋良朝苗氏のの得票率は46%にとどまった。
その証拠に、日本復帰を主張して立候補した屋良朝苗氏のの得票率は46%にとどまった。
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日本復帰を望んでいた沖縄人は実は46%しかいなかった。
その証拠に、1968年11月10日に行われた沖縄初の主席公選で、日本復帰を主張して当選した屋良朝苗氏の獲得票数は、当時の沖縄の全有権者数の46%しかなかった。
その証拠に、1968年11月10日に行われた沖縄初の主席公選で、日本復帰を主張して当選した屋良朝苗氏の獲得票数は、当時の沖縄の全有権者数の46%しかなかった。
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<日本復帰を望んでいた沖縄人は実は46%しかいなかった>
1968年11月10日に行われた沖縄初の主席公選で日本復帰を主張した屋良朝苗氏が獲得した票数は23万7643票。
一方、当時の沖縄の全有権者数は51万5246人。
この数字を見れば分かる通り、日本復帰を望んでいた沖縄人は全体の46%しかいなかったことが分かる。
右派系論者たちがよく「沖縄の人たちは日本復帰を望んでいた」と言うが、調べてみたら日本復帰を望んでいた沖縄の人は実は全体の半分もいなかった。
1968年11月10日に行われた沖縄初の主席公選で日本復帰を主張した屋良朝苗氏が獲得した票数は23万7643票。
一方、当時の沖縄の全有権者数は51万5246人。
この数字を見れば分かる通り、日本復帰を望んでいた沖縄人は全体の46%しかいなかったことが分かる。
右派系論者たちがよく「沖縄の人たちは日本復帰を望んでいた」と言うが、調べてみたら日本復帰を望んでいた沖縄の人は実は全体の半分もいなかった。
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Q5 北方領土問題についての日本の立場は,どのようなものですか?
A5
日本政府は,北方四島(択捉島, 国後島, 色丹島, 歯舞群島)の帰属に関する問題を解決してロシアとの平和条約を早期に締結するという一貫した方針を堅持しています。
また,北方四島の日本への帰属が確認されるのであれば,実際の返還の時期, 態様については柔軟に対応する考えです。
(外務省ホームページから抜粋)
一昨年まで外務省のホームページには「北方領土は我が国固有の領土」と書かれていたが、昨年から「北方領土は我が国固有の領土」という文言は削除された。
日本政府は一昨年まで一貫して「北方領土は我が国固有の領土」と国民に説明していたが、この文言を削除したことで、これまでの日本政府の説明が嘘だったことが判明した。
A5
日本政府は,北方四島(択捉島, 国後島, 色丹島, 歯舞群島)の帰属に関する問題を解決してロシアとの平和条約を早期に締結するという一貫した方針を堅持しています。
また,北方四島の日本への帰属が確認されるのであれば,実際の返還の時期, 態様については柔軟に対応する考えです。
(外務省ホームページから抜粋)
一昨年まで外務省のホームページには「北方領土は我が国固有の領土」と書かれていたが、昨年から「北方領土は我が国固有の領土」という文言は削除された。
日本政府は一昨年まで一貫して「北方領土は我が国固有の領土」と国民に説明していたが、この文言を削除したことで、これまでの日本政府の説明が嘘だったことが判明した。
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再訂正
日本政府は「尖閣諸島は日本固有の領土」と主張しながらも「沖縄は日本固有の領土」とは主張しない。
その一方で、日本政府は「尖閣諸島は沖縄県に属する」とも主張している。
日本政府が「尖閣諸島が沖縄県に属する」と主張するのであれば「沖縄は日本固有の領土」と主張してもよさそうなものだが、日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と主張したことはただの一度もない。
日本政府がこの矛盾を突かれたら反論できないだろう。
日本政府は「尖閣諸島は日本固有の領土」と主張しながらも「沖縄は日本固有の領土」とは主張しない。
その一方で、日本政府は「尖閣諸島は沖縄県に属する」とも主張している。
日本政府が「尖閣諸島が沖縄県に属する」と主張するのであれば「沖縄は日本固有の領土」と主張してもよさそうなものだが、日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と主張したことはただの一度もない。
日本政府がこの矛盾を突かれたら反論できないだろう。
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訂正
日本政府は「尖閣諸島は日本固有の領土」しながらも「沖縄は日本固有の領土」とは主張しない。
その一方で、日本政府は「尖閣諸島は沖縄県に属する」とも主張している。
尖閣諸島が沖縄県に属するのであれば日本政府は「沖縄は日本固有の領土」と主張するのは当然のことだが、日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と主張したことはただの一度もない。
日本政府がこの矛盾を突かれたら反論できないだろう。
日本政府は「尖閣諸島は日本固有の領土」しながらも「沖縄は日本固有の領土」とは主張しない。
その一方で、日本政府は「尖閣諸島は沖縄県に属する」とも主張している。
尖閣諸島が沖縄県に属するのであれば日本政府は「沖縄は日本固有の領土」と主張するのは当然のことだが、日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と主張したことはただの一度もない。
日本政府がこの矛盾を突かれたら反論できないだろう。
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日本政府は「尖閣諸島は日本固有の領土」しながらも「沖縄は日本固有の領土」とは主張しない。
その一方で、日本政府は「尖閣諸島は沖縄県に属する」とも主張している。
尖閣諸島が沖縄県に属するのであれば日本政府は「沖縄は日本固有の領土」と主張するのは当然のことだが、日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と主張したことはただの一度もない。
日本政府はこの矛盾を突かれても反論できないだろう。
その一方で、日本政府は「尖閣諸島は沖縄県に属する」とも主張している。
尖閣諸島が沖縄県に属するのであれば日本政府は「沖縄は日本固有の領土」と主張するのは当然のことだが、日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と主張したことはただの一度もない。
日本政府はこの矛盾を突かれても反論できないだろう。
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日本政府は「沖縄は日本固有の領土」と主張できないなら「尖閣諸島は日本固有の領土」と主張するべきではない。
なぜなら日本政府は「尖閣諸島は沖縄県に属する」とも主張しているからだ。
なぜなら日本政府は「尖閣諸島は沖縄県に属する」とも主張しているからだ。
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