雑談(※旧高校野球談) [16533]
作成者:外野
作成日時:2016/10/06 15:11:05
野球に関することなら他の板だと迷惑かかかりそうなので これからはこの板を使って何でも書こうと思っています。
投稿メッセージを表示( 16533 件中 8841 件 〜 8855 件目)
1位指名します
高卒左腕
スライダーは一級品
高卒左腕
スライダーは一級品
0
スポンサーリンク
沖縄にはもともと味噌汁と言うのはない
汁物は具のたくさん入ったスープ
米ももともとインディカ米であり
ジューシ(漢字では主食と書く)などにして食する
沖縄に日本と同じジャポニカ米が導入されるのは戦後で
台湾から蓬莱米(戦前日本人が内地米とインディカ米をかけ合わせて改良したジャポニカ米に似た味)
が導入されたのが始まり
味噌や醤油は中華料理にもある
汁物は具のたくさん入ったスープ
米ももともとインディカ米であり
ジューシ(漢字では主食と書く)などにして食する
沖縄に日本と同じジャポニカ米が導入されるのは戦後で
台湾から蓬莱米(戦前日本人が内地米とインディカ米をかけ合わせて改良したジャポニカ米に似た味)
が導入されたのが始まり
味噌や醤油は中華料理にもある
0
要するに沖縄は中国です
0
スポンサーリンク
沖縄は中国固有の領土だからな。
決して日本ではないよ。
決して日本ではないよ。
0
沖縄の人って会話しずらいけど日本語上手だよね。
0
スポンサーリンク
<内地と沖縄の違い>
沖縄には檀家制度がない
全国的にみられる檀家制度は、江戸時代の「寺請け制度」から始まったもの。
これは、現在の戸籍のような役割と、キリスト教弾圧の役割を持った、国民総仏教徒制度だった。
ところが、その時代の琉球は王国として独立した存在で、徳川幕府に属しておらず、
また寺請け制度もなく、よって現在の檀家制度も根付かなかった。
沖縄以外の都道府県にある檀家制度が沖縄にないのは、沖縄がかつて日本の統治権(主権)が及ばない異国だったからである。
沖縄には檀家制度がない
全国的にみられる檀家制度は、江戸時代の「寺請け制度」から始まったもの。
これは、現在の戸籍のような役割と、キリスト教弾圧の役割を持った、国民総仏教徒制度だった。
ところが、その時代の琉球は王国として独立した存在で、徳川幕府に属しておらず、
また寺請け制度もなく、よって現在の檀家制度も根付かなかった。
沖縄以外の都道府県にある檀家制度が沖縄にないのは、沖縄がかつて日本の統治権(主権)が及ばない異国だったからである。
0
沖縄の文化は日本より中国に近い。
0
近いんじゃなく沖縄は中国です。
0
ヤマトゥンチュは沖縄を日本だと思っているから笑えるよな。
0
9210バカだな。沖縄は中国だから日本とは違う。
君も中国人だよ。
自覚ないの。
君も中国人だよ。
自覚ないの。
0
9210、中国人の意見はわかったよ。
君の言う通り君を始め沖縄は中国だよ。
認めてるよ!
君の言う通り君を始め沖縄は中国だよ。
認めてるよ!
0
<内地と沖縄の違い>
内地は日本
沖縄は中国
以上です
内地は日本
沖縄は中国
以上です
0
中国人うるさいな。
9210お前だよ。
そのうるささ下品なんだよ
9210お前だよ。
そのうるささ下品なんだよ
0
<1879年まで琉球(現在の沖縄)は日本の領土ではなかった>
明治政府は1871年(明治4年)に全国一斉に廃藩置県を行い、全国の諸藩は藩から県に変わったが、琉球に対しては廃藩置県ができなかった。
なぜなら当時の琉球は藩どころか日本の領土ですらなかったから。
明治政府は1871年(明治4年)に廃藩置県を行っておきながら、逆に琉球に対してはその翌年の1872年(明治5年)に琉球国から琉球藩に変えている。
当時、全国の各県は大蔵省が管轄していたが、琉球藩だけは外務省の管轄下にあった。
明治政府がなぜ琉球藩だけを外務省の管轄下に置いたかというと、当時の琉球はまだ正式に日本に組み込まれていなかったから。
琉球はその時点でまだ日本の領土ではなかったため、1875年に明治政府の松田道之琉球処分官が琉球に対して清國の年号をやめて日本の和暦を使用すること、あるいは日本の法律を採用することなどを要求している。
もちろん廃藩置県後の全国各県は既に日本の国内法が適用されていたが、その時点で琉球には日本の国内用はまだ適用されていなかった。
この歴史的事実が示すように1879年に日本に統合されるまで琉球には日本の統治権(主権)が及んでいなかったことが分かるし、1879年まで琉球が日本の領土でなかったことは言うまでもなく歴史的事実である。
明治政府は1871年(明治4年)に全国一斉に廃藩置県を行い、全国の諸藩は藩から県に変わったが、琉球に対しては廃藩置県ができなかった。
なぜなら当時の琉球は藩どころか日本の領土ですらなかったから。
明治政府は1871年(明治4年)に廃藩置県を行っておきながら、逆に琉球に対してはその翌年の1872年(明治5年)に琉球国から琉球藩に変えている。
当時、全国の各県は大蔵省が管轄していたが、琉球藩だけは外務省の管轄下にあった。
明治政府がなぜ琉球藩だけを外務省の管轄下に置いたかというと、当時の琉球はまだ正式に日本に組み込まれていなかったから。
琉球はその時点でまだ日本の領土ではなかったため、1875年に明治政府の松田道之琉球処分官が琉球に対して清國の年号をやめて日本の和暦を使用すること、あるいは日本の法律を採用することなどを要求している。
もちろん廃藩置県後の全国各県は既に日本の国内法が適用されていたが、その時点で琉球には日本の国内用はまだ適用されていなかった。
この歴史的事実が示すように1879年に日本に統合されるまで琉球には日本の統治権(主権)が及んでいなかったことが分かるし、1879年まで琉球が日本の領土でなかったことは言うまでもなく歴史的事実である。
0
はい、昔から沖縄は中国です
0
588 | 589 | 590 | 591 | 592 | 593 | 594 | 595 | 596 | 597 | 前のページを表示 | 次の 15 件を表示 |