あ
1110みたいなやつは毎年出てくる。多分本気で何かに取り掛かった事がないかわいそうな人。野球だけじゃなく、サッカー、バスケ、その他の部活やスポーツ、またはバイトや仕事で汗水垂らす。その過程が大事なのでは?結果はすぐにでる人もいるし、なかなか出ない人もいる。でも何かをやりとげる。その方が大事なのはないでしょうか?多分1110みたいな人には分からないでしょうけどね。あ
興南を倒す練習してきた好チームだが… その前に好チーム同士潰しあい本当は激戦区で 貫禄勝ちしてほしかった
沖水 対 沖尚 これはヤバい! 勿体ない 頭脳的で沖○だろう。
ラジオカー 登場してほしい!
三回戦
この前の宜野湾球場試合 西原高校予想外いい西原 投手00?延長10回よく一人で投げ粘り勝ち
打力は789が出て得点 西原中軸は 浦工投手に全くタイミング合わず××
しかし 延長10回 西原4番島袋の二塁打からさよなら勝利
西原00投手と西原強力打線がかみあうと 中商 糸満も
なめたら 逆にコールドもありうる 西原高校強し
甲子園おやじ
三回戦注目カード 日曜日第二試合西原対中商 このカードは投手および打力とも
引けをとらないチーム
予想では3点内の打力の勝負と見る
いよいよ三回戦 さあーどう戦うか
ベスト4
抽選の結果 下のブロックがどう勝ち上がってくる特にBブロック西原対糸満 Dブロック 興南対美里戦
が見たい
どうころぶか
Aブロック 小禄 沖水
Bブロック 糸満 西原
Cブロック 嘉手納 浦商
Dブロック 興南 美里
強打力NO:1西原中軸と浦商中軸がどう勝ち進むか
注目
名護の平安山良克主将が甲子園で選手宣誓をしたのは1972年(昭和47年)の夏の大会だけです。
1972年(昭和47年)春の選抜では1回戦で松江商(島根)の2年生左腕の中林投手の前にわずか3安打に抑えられ、3-1で敗れました。
翌年に同じく春夏連続甲子園に出場した前原もそうですが、バッティングマシンが全国的に普及し始める前の1970年代前半までのチームは打力に大きな課題がありました。
これは沖縄のチームに限った話ではなく、当時の甲子園大会のスコアを見ると、今の時代と違って3点以内のロースコアの試合が非常に多いことに気づきます。
つまり、好投手と当たれば完封されるか1点ないし2点しか取れないという試合が多かったですね。
1968年(昭和43年)に甲子園ベスト4を果たした興南は別ですが、沖縄のチームが打力もつけてきたなという印象を持ったのは1975年春に甲子園に出た豊見城あたりからです。
話は名護に戻りますが、名護が甲子園に出た年は沖縄が本土に復帰したということで、それを記念して沖縄で優勝すれば無条件で甲子園に出場できると思ったのですが、節目に当たる記念大会ではなかったために、やはり南九州予選(二次予選)で勝たなければ甲子園には行けませんでした。
本土復帰の年に宮崎代表を下して実力で甲子園に行けたことはとてもよかったと思います。
また、1960年代の沖縄県勢はチームの平均身長も166センチ前後と小柄な選手が多かったようですが、この年の名護は170センチ前後あったのではないでしょうか。
首里が沖縄県勢として初めて甲子園に行ったときの平均身長は162センチだったといわれ、ベンチ入りメンバーで170センチを超えていたのは一人だけだったそうです。
ちなみに、沖縄の選手が甲子園で選手宣誓をしたのは1958年(昭和33年)の仲宗根弘主将(首里)、1960年(昭和35年)の牧志清順主将(那覇)、1972年(昭和47年)の平安山良克主将の3人です。
古株
訂正どころか、多くの事教えてもらってありがうごさいます。嬉しいです。確か、名護高校の平安山主将はその年の春夏連続選手宣誓だったのでは? 良かったら教えて下さい。
ご指摘ありがとうございました。
1097さんの言われる通り、1966年(昭和41年)の興南も実力で甲子園に出場していますね。
この年の夏、沖縄大会で優勝した興南は南九州大会(二次予選)で宮崎大宮を7-5で破っています。
したがって東九州大会、南九州大会における沖縄県勢の通算成績は3勝15敗となりますので、訂正させていただきます。
沖縄県勢がまだ弱かったこの時代に、宮崎代表との甲子園出場をかけた南九州大会を突破して実力で甲子園出場を果たしたのは1962年(昭和37年)の沖縄高校、1966年(昭和41年)の興南高校、1972年(昭和47年)の名護高校の3校です。
ついでに、この1966年(昭和41年)夏の沖縄大会準々決勝、準決勝、決勝のスコアをご紹介します。
<準々決勝>
興南 10 - 2 那覇商
小禄 4 - 1 沖縄
首里 8 - 1 那覇
糸満 2 - 0 コザ
<準決勝>
首里 0 2 1 0 0 0 1 0 0 4
小禄 5 0 1 0 0 0 0 0 X 6
興南 0 0 0 4 0 0 5 9
糸満 0 1 1 0 0 0 0 2
<決勝>
興南 5 0 0 0 1 0 0 0 0 6
小禄 1 0 0 3 0 0 0 0 0 4
東九州大会、南九州大会
とても良いコメントで素晴らしいと思います。通産が2勝15敗とありますが、昭和37年の沖縄高校、昭和41年の興南高校、昭和47年の名護高校が夏の甲子園に出場してる事から3勝ではないでしょうか? 話の腰を折ってすみません。強い
真和志高校強いです。
嘉手納高校に
2−1で 勝利。
嘉手納は 池原−真謝のバッテリー。
しかも嘉手納高校のグランドで。
南風原高校にも
4−1で勝利。
これは夏の大会
真和志旋風の予感がします。
昨年のコザ高校みたいな
旋風があるかもしれません
真和志高校に注目です。
第92回全国高校野球選手権沖縄大会は来週、組み合わせ抽選会が行われます。
現在のように1県1代表制になったのは1975年(昭和50年)からで、それ以前は沖縄大会で優勝しても東九州大会(1953年~1957年)、あるいは南九州大会(1959年~1974年)の二次予選で勝たなければ甲子園には行けませんでした。
東九州大会は大分代表と、南九州大会は宮崎代表とそれぞれ甲子園への出場権をかけて戦いました。
1950年代から1970年代前半にかけて、沖縄の代表校は九州大会に出てもコールド負けしなければ上出来といわれるほど弱く、実際、東九州大会では沖縄の代表校は一度も勝ったことがありません。
1958年は第40回の記念大会ということもあり、二次予選を経ずに沖縄から首里高校が甲子園に出場しました。
これが沖縄県勢として初の甲子園出場となったわけです。
1959年以降は宮崎代表と甲子園出場をかけて二次予選を行ってきましたが、1959年以降も沖縄県勢は宮崎県勢にことごとく敗れ去っていました。
ちなみに1959年から1974年にかけての東九州大会、南九州大会の沖縄県勢の成績は2勝15敗と、まったく振るいませんでした。
沖縄県勢が実力で甲子園出場を勝ち取ったのは、1962年(昭和37年)の沖縄高校(現沖縄尚学)が最初です。
沖縄高校は沖縄大会決勝で首里高校を4-2で破り、宮崎県営球場で行われた南九州大会で宮崎代表の大淀高校を4-2で下して見事、自力で甲子園出場を果たしました。
1932年(昭和7年)に正式加盟し、「甲子園」への道が開けてから30年。やっと自力による甲子園出場が果たせました。
沖縄高校が夏の甲子園へ自力出場を果たす前は首里高校が第40回記念大会と第45回記念大会に、興南が第50回記念大会に、前原が第55回記念大会にそれぞれ出場していますが、記念大会という節目の大会だったので南九州大会(二次予選)を経ないでの甲子園出場でした。
当時の沖縄高校野球界は「実力で甲子園へ」が合言葉だったため、沖縄高校が宮崎代表の大淀高校を破って沖縄の高校野球史上初めて自力による甲子園出場を果たしたことは沖縄中が大いに沸きました。
沖縄高校ナインは遠征費の関係もあって、宮崎から沖縄に帰ることなく、熊本で調整しながらそのまま甲子園入り。
甲子園では大会4日目の第3試合で、強豪の広陵高校(広島)と対戦しました。
試合は6回まで4-4の熱戦。結局は4-6と惜敗したものの、九州大会でコールド負けが多かった当時の沖縄の高校野球レベルから考えれば大善戦といえるものでした。
7月18日に宮崎に向け出発してから1カ月余り。
沖縄高校ナインは8月25日に那覇丸で凱旋しました。
泊港には狭い構内を埋め尽くすほどの人垣で、初めて海を渡ってきた南九州代表旗を先頭にタラップを下りる選手たちに、ひと際大きな拍手が送られ、その後、国際通りを通って那覇市国場の同校までのパレードにも、沿道は大勢の人が繰り出して、沖縄高校の健闘を称えました。
今でいえば、沖縄尚学や興南が甲子園で優勝して帰ってくるのと同じような光景といっても過言ではないでしょう。
当時の弱かった時代を思えば、沖縄高校が自力で甲子園出場を果たしたことは沖縄の高校野球界にとって「快挙」ともいえるもので、その快挙の立役者は沖縄県民の誰もが知っている元プロ野球選手で、沖縄が生んだ偉大な名投手・安仁屋宗八氏(元広島→阪神)だったことは言うまでもありません。
名護んちゅ
いよいよ開幕!6月11日に抽選が決定し、19日開幕する高校野球!
興南高校が順調に春・夏出場を決めるのか?
はたまた、王者興南をどこかが破るのか?破るのはどこなのか?
大変ワクワク、ドキドキする大会に成りそうです!
頑張れ高校球児!
がじゃっち@沖縄
インターネットで検索したら10年前の琉球新報電子版が出て来て「那覇高校池村監督・・・」という記述があります!
もう10年前の出来事ですから、今はもうどこかへ転勤されて
いるでしょうねぇ・・・。
がじゃっち@沖縄
今日は那覇高校です!数々の話題を振りまいた夏の甲子園初出場からはや10年の歳月が流れました・・・。今年創立100周年を迎え「夢よもう一度!」と
燃えている那覇高校、この夏はどんなチームなんでしょうか?ぜひご覧下さい!
@北谷球場
登録メンバーが新聞に載るのは例年ですと開幕日の前日か前々日くらいですね。その後タイムスのサイトにも掲載されます。メンバーは開会式の直前まで変更可能なため、実際のメンバーとは異なってることがしばしばです。
会場で売られてる各校の名簿のパンフレットの登録メンバーは、印刷の関係で提出がかなり前なので
学校によってはメンバーがガラリと変わってる場合も時々ありますね。でも全部員の名前が出てますので便利です。
ノバル
あれだけ一年から投げてりゃだいぶデータは集まるし研究されているだろう。特に浦商・沖尚などのチームはよく偵察してるしね。ここが弱点だと掴んでる部分はあるでしょう。
でも分かったからといってそこを突けるのかと言うのと勝てるのかは別問題。
いずれにせよ簡単に点は取れないし、取れたとしてそれ以下に興南打線を抑えるのも簡単じゃない。
もし島袋投手が右打者から逃げるような球種を身に付けてたら県内じゃ攻略できないだろうな。
とりあえず、今年の夏は例年以上に有力校が多く当たり年。去年から主力の選手も多くモチベーションも高い。
一発勝負である以上どこだろうが興南に勝てる可能性はある。
各校どういう包囲網敷いてくるか楽しみではある。
ただ、今のとこ興南がかなり抜けてる。
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