米軍基地から流弾か 沖縄・名護の小屋被害 長さ5センチ、ガラス割る [1]
作成者:事故?
作成日時:2018/06/30 13:53:02
今月21日に米軍キャンプ・シュワブに隣接する名護市数久田の農作業用小屋で銃弾のような物が見つかるなど、
県内で繰り返される流弾事件。数久田では16年前の2002年7月にも、土地改良区のパイン畑に米軍の物とみられる銃弾が飛んできた。
16年前、弾は作業していた男性の2メートル後方に着弾した。
事件後、米軍からの謝罪は一切なく、自宅を訪ねてきた沖縄防衛局職員が通り一遍のおわびの言葉を並べただけだった。
「パイン1個がいくらだから賠償額はこのぐらい、みたいなことを言われたのを覚えている」。
賠償金を支払えばそれで終わりという感覚の米軍関係
沖縄県内
>流弾事故 1972年の復帰後に28件 米軍が関与認めない例も
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投稿者:事故? 投稿日時:2018/06/30 13:53:02
今月21日に米軍キャンプ・シュワブに隣接する名護市数久田の農作業用小屋で銃弾のような物が見つかるなど、
県内で繰り返される流弾事件。数久田では16年前の2002年7月にも、土地改良区のパイン畑に米軍の物とみられる銃弾が飛んできた。
16年前、弾は作業していた男性の2メートル後方に着弾した。
事件後、米軍からの謝罪は一切なく、自宅を訪ねてきた沖縄防衛局職員が通り一遍のおわびの言葉を並べただけだった。
「パイン1個がいくらだから賠償額はこのぐらい、みたいなことを言われたのを覚えている」。
賠償金を支払えばそれで終わりという感覚の米軍関係
沖縄県内
>流弾事故 1972年の復帰後に28件 米軍が関与認めない例も
県内で繰り返される流弾事件。数久田では16年前の2002年7月にも、土地改良区のパイン畑に米軍の物とみられる銃弾が飛んできた。
16年前、弾は作業していた男性の2メートル後方に着弾した。
事件後、米軍からの謝罪は一切なく、自宅を訪ねてきた沖縄防衛局職員が通り一遍のおわびの言葉を並べただけだった。
「パイン1個がいくらだから賠償額はこのぐらい、みたいなことを言われたのを覚えている」。
賠償金を支払えばそれで終わりという感覚の米軍関係
沖縄県内
>流弾事故 1972年の復帰後に28件 米軍が関与認めない例も
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