平久保小1期生母校へ帰り、在校生と交流!? [1]
平久保小は1945年、白保小学校の分校として開校。
57年に独立校となり、現在地に移転した。
児童や住民の協力で瓦ぶき1教室を落成、開校した。
1期生が卒業後に集まって同校を訪ねるのは初めて。
幼稚園児を含む在校生7人と対面した長間義勝さん(60)は
「昔はランドセルもなくて、風呂敷に荷物を詰めていた。はだし、草履での登校も認められていた。赤瓦屋根の校舎で3年間勉強した」
と当時の様子を紹介。
「みんな学校を逃げて山で遊んでいた。先生に追い掛けられてばかりだった」と話した。
1期生が卒業時に同校で教師をしていた与那原豊子さん(72)は
「みんな遊んでばかりいたと言っているけど、授業で辞典を引かせたら物音も立てずに集中していたのを覚えている。日曜日に学校に来なさいと言うと『キビ刈りに行かなくてすむ』と喜んで来てくれた」と語った。
在校生は自己紹介で自分の名前に加え祖父母も紹介した。1期生は知っている人の名前が出ると「あの人の孫か」などと親しみを感じていた。
最後は1期生、在校生が一緒に校歌を合唱。帰りは1人ずつ握手を交わし別れを惜しんだ。
同校5年の米盛夢姫(いぶき)さん(10)は
「昔の小学校がどんな所だったのか知って、面白いと思った。皆さんが大切にしてきた学校をこれからも大切にしていきたいと思った」と話した。
(稲福政俊)
琉球新報→http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-184578-storytopic-5.html
57年に独立校となり、現在地に移転した。
児童や住民の協力で瓦ぶき1教室を落成、開校した。
1期生が卒業後に集まって同校を訪ねるのは初めて。
幼稚園児を含む在校生7人と対面した長間義勝さん(60)は
「昔はランドセルもなくて、風呂敷に荷物を詰めていた。はだし、草履での登校も認められていた。赤瓦屋根の校舎で3年間勉強した」
と当時の様子を紹介。
「みんな学校を逃げて山で遊んでいた。先生に追い掛けられてばかりだった」と話した。
1期生が卒業時に同校で教師をしていた与那原豊子さん(72)は
「みんな遊んでばかりいたと言っているけど、授業で辞典を引かせたら物音も立てずに集中していたのを覚えている。日曜日に学校に来なさいと言うと『キビ刈りに行かなくてすむ』と喜んで来てくれた」と語った。
在校生は自己紹介で自分の名前に加え祖父母も紹介した。1期生は知っている人の名前が出ると「あの人の孫か」などと親しみを感じていた。
最後は1期生、在校生が一緒に校歌を合唱。帰りは1人ずつ握手を交わし別れを惜しんだ。
同校5年の米盛夢姫(いぶき)さん(10)は
「昔の小学校がどんな所だったのか知って、面白いと思った。皆さんが大切にしてきた学校をこれからも大切にしていきたいと思った」と話した。
(稲福政俊)
琉球新報→http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-184578-storytopic-5.html
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