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日本はマレー系、ポリネシア系、
チベット系、縄文系、弥生系など
遺伝子(ゲノム情報が)みられる

縄文人が北海道礼文島や沖縄本島
中部、南部までは船で航行してきて
いた。
奄美文化圏だった沖縄は、縄文人に
奄美沖縄地域として認識されていた。

文明が遅れていた奄美沖縄地域は、
石鍋や須恵器も無かった。
狩猟中心で稲作の技術も無かった。
すなわち原始人類の生活で、
石の上に木の葉を乗せて食材を
『蒸し焼き』する生活を何万年も
送っていた。

沖縄本島は、九州以北より
原始生活、文明開化が
遅れ、内地よりも1000年間長く
縄文時代の暮らしを続けていた。

縄文時代にダイナミックな移住が
始まったのは奈良・平安時代。
都市制度から各国の国府(首都)
に国司を配置する国府文化への
地方転換がスタートしていた。
奈良・平安地域から商人、職人、
稲作家族らの大半は奄美沖縄に
大量移入した。

現在も沖縄の遺伝子は福岡県地域の
縄文人遺伝子、琉球縄文遺伝子。
航行技術の限界で縄文人の痕跡や
縄文土器は奄美・喜界島・沖縄南部
中部から発掘されている。
四国や九州にも琉球縄文遺伝子が
多く解析されている。
もっとも強い琉球縄文系とされるのは
『高知県民』と言われている。

八重山・宮古・与那国などでは縄文
遺伝子流入は無かったと推察される。
土器、須恵器の発掘もない。
沖縄本島から400km離れた遠隔地
八重山・宮古には縄文人が来てい
ない。
文明開化が遅れた地域とも言える。
福岡縄文系遺伝子が八重山・宮古地域
に流入したのは鎌倉時代以降と推察
される。

国府文化が始まったため、
土器、須恵器、石鍋の関係者、家族
商人、稲作をする家族も北海道、
奄美沖縄まで全国的に移住が活発に
行われていた。

産経新聞報道によると、
喜界島には太宰府が置かれ、500年間
維持されていた。
喜界島には、製鉄所も造られ、
奄美沖縄、全国に販売され流通したと
歴史的痕跡が出土。

沖縄方言は縄文人が使っていた
長崎県、九州方言、万葉言葉と
大半が一致している。
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