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タイトル:続き
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メッセージ:「消極的な自衛権の行使」という言葉について

人間やその他の「生命」を引き換えにするという行為は
どのような場合であれ全面に押し出すことは許されるべきものではありません。

「実際に武力行為によって国民に死者が出ないと自衛権を行使しないのでしょうか?」
私自身、自衛権自体を現時点で全面撤廃することは現実的ではないと考えます。
ですからここで問題にしているのは「自衛権」ではなくそのまえの「積極的」という言葉なのです。

実際に武力行為がなされたとして、なぜその時日本は武力を行使されたかについて考えてみましょう。
私は以下のことを想定しました。
・侵略行為
・自国の不利益を解消するため
・けん制のため(やられる前にやる)
他にもあるかもしれませんが、総合的に考えてみても、「自分から戦争をしかける」という行為にはまず「国家間の外交の失敗」が
あるということがわかります。

戦争にも「開戦時にはその国に対して通告する」という一定のルールがありますね。
もし仮にA国が「侵略」目的で他国に攻撃をするという場合、その国は国際的ルールを遵守できない国と見なされます。
よってA国が対象とした国以外の国にとっても、A国は「脅威」として認識され、自国が国際的に孤立してもかまわないほど、
かなりの勝算や利点でもない限り、A国に協力する国は出てこないでしょう。(一部の人間の利潤としてはありうるかもしれませんが、
許されない行為ということに変わりありません)
現在のグローバル化した経済や物資の流通事情において、国際的に孤立するということは即死活問題に直結します。
「侵略行為」は武力行使で自国エネルギーを大量に消費しその上その間の国益の生産は完全にストップさせると言うことです。
かなりのエネルギーを自国で自給できなければ「侵略行為」は成立させることができない。
いくら「常識の通じない国」と揶揄されても、一応国際的に国家として扱われ国際会議にも席が用意される国が、
そのリスクを認識もしていないとは考えられません。
いずれにせよ目的に「侵略」がある場合、そのような大きな動きが全く察知されることなく進行するのは無理でしょう。
仮にも侵略されるかもしれないとしたとき、「侵略行為」が前提としてあるのであれば日本がたった三国と「積極的に」自衛しなくても
世界中がその動きに対してけん制する意思をみせるはずです。
「世界が守ってくれるから」と言いたいのではなく、「侵略」というケースにおいては世界中が対応すべき問題であると言う点から、
武力行為に及ばれる前に国際間で外交上の連携をとって対応することが最善策だということです。
今まで述べた意見の繰り返しになりますが、現在でも国際間で日本の軍事力は(軍備の豊富さという点で)一目置かれている状態です。
「戦えないわけではない、しかし戦いたくないからもっと話し合おう」というような軍事力を全面に押し出さない自衛の形は
「消極的自衛権」といえるでしょう。


ではその武力行使に消極的な姿勢のまま、可能な限りの最善策を尽くすためには?

まさに

あなたがお花畑発言だとした「産業の価値」にあるのです。


戦後、敗戦国家である日本が現在のように国際間でも重要な国であると認識されているのは、
「日本の産業」が抜きん出て優れたものだったからです。
製品の生産に限界まで上質さを求め、常に向上させる努力を怠らず、「どこに出してもはずかしくないもの」を
日本の産業は世界に発信し続けてきました。規模の大小はありますが、精密機械、医療、経済流通、通信技術など、
その内容は多岐にわたり、またその他にも文化的交流や技術指導も「産業」が生み出すネットワークの一つです。

この強みは是非とも「積極的に」打ち出し、さらに磨き続けなければなりません。

追いつかれればまた一歩素晴らしいものを創るだけの、その技術力と想像力こそ日本の強みだと言えます。
日本が誇るべき本当の価値とは、武力誇示の軍事力でも外交のかけ引きで他国をあげつらうことでもなく、
まさに「人がつくりだすもの」にあるのです。
世界の中における日本の価値はこういった点からアプローチし、まさにその形で「国防」とするべきなのです。

あなたが「稚拙かもしれない」と前置きしたのは「理想論かもしれない」という含みもあったことだろうと思います。
しかし、私やあなたが今自分の力でこの国のためにできることがあるとすれば、こういったことに関心を持ち続け、
社会の中で新しい事やものをつくろうとする姿勢でものごとを捉え、考えて動くことが、一番「現実的」ではないでしょうか。

そして人が何かを創り出すときの拠り所となるのが「教育」です。

日本の技術力は戦争があったからこそ持ちえたもではなかったか?という問いがあればその答えはNOです。
もし戦争が無ければ日本は古代から受け継いだ歴史ある物品や建造物を失うことなく、
戦争が費やし消し去ってしまった人命や自然や技術や時間の分だけもっと発展する事ができたでしょう。
第二次世界大戦後、日本が確かに認識し新しいものを獲得できたとすれば、それは

「今までの教育観は間違いではなかったか」ということです。


あまりにも長いので次に!
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