日本人!愛国心を持て! [282]
作成者:赤雁
作成日時:2005/04/14 00:39:39
アメリカのやり方に反対な人はメッセージを下さい!本を見たら罪のないたくさんのイラクの子が血を流し死んでゆくのを見てきにくわないと思いました!みなさんどう思いますか?
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投稿メッセージを表示( 282 件中 11 件 〜 20 件目)
:
さんと校さんって同じPCホストだったんですか?
知らなかったぁぁ
さんと校さんって同じPCホストだったんですか?
知らなかったぁぁ
これまで長々と書いてきましたが、
私が「偉そうに」しているという印象を持ってしまったら申し訳ありません。
あなたは私のことを「貴兄」と読んだが、
それもまた言説から判断できる事ではありません。
もしかしたら私はあなたよりも年下かもしれないし、
同級生かもしれないし、または女性であるかもしれないし、
ただの冷やかしであるかもしれない。
この場所で妙な価値観を前提に話はしたくないので
あえて何も言いません。
わたしの言うこともぜひ細部まで疑ってください。
私が「偉そうに」しているという印象を持ってしまったら申し訳ありません。
あなたは私のことを「貴兄」と読んだが、
それもまた言説から判断できる事ではありません。
もしかしたら私はあなたよりも年下かもしれないし、
同級生かもしれないし、または女性であるかもしれないし、
ただの冷やかしであるかもしれない。
この場所で妙な価値観を前提に話はしたくないので
あえて何も言いません。
わたしの言うこともぜひ細部まで疑ってください。
「教育」について説明するとなると、歴史的教育観の変遷やら教育勅語やら日本国憲法やら
教育基本法やら学習指導要領やら(これは関係ないかも)なんやらかんやら、
さまざまな観点から論述していかねばなりませんが、ここでは省略させてください。
しかし、だいたいの一般常識として挙げると、
戦前の教育には「自分で考え、行動する」という行為は許されていなかったということがあります。
何かを書くのも、何かを作るのも、すべて国益に繋がるように要求されていました。
そして国民は思考する力を奪われる形となり、「何か変だ」と感じても何も成す術がなかった。
それがそのまま流れ、小さなひずみが大きな歪みになって戦争に発展しました。
そしてあまりにも多くのものを失いました。
その大きすぎる代償で得た一番大きなものは「繰り返してはならない」という認識であり、
そして、新しい人間観の基にある「教育」だったのです。
戦後、私たちは「考える主体をつくるための教育」を受けることができるようになりました。
いかによりよい人生を送るかを「自分で考え、行動する権利」を得ました。
だからこそ、「新しいものを作り出す力」を得たのです。
もし、日本の教育がゆがむことなくずっと発展深化できていたなら、
そもそも戦争は起こらず、やはり産業はもっと進化することが出来ていた事でしょう。
歴史に「もし」はないとよく言われます。起こったことは変わらない事実です。
そして「歴史は繰り返す」とも言われます。
戦争は約50〜100年周期で起こってきた、それは人間が「忘れるから」です。
人間は学習する生きものであり、そして学び続けなければ簡単に忘れる生き物です。
現代はもう簡単に過去を忘れ去る事ができない時代になりました。
だからこそ今からまた「教育」を見直し、私たちは学び続けなければならないのです。
現行の教育にもさまざまな課題があり、本質を見失っているところがある。
そして変わろうとしている教育にも「何かおかしいところ」がある。
私はこの時代に、あなたのように若く、理論立ててものごとを捉えようとする人間が必要だと考えます。
あなたは反対派運動を展開する活動家たちの抽象的な表現や行き過ぎた行動に疑問を
覚えた、そして、今何が必要なのかを考えました。
そして私はあなたの理論に対して疑問に思うところを展開し、その中であなたの中にに少なからずも
「戦争は得策ではない」という希望にも似た考えがあることを認めることが出来ました。
私は「人間の鎖」の現場に立ち会っていました。しかし鎖に参加できなかった。
まだ私にもあなたとは逆の葛藤があることを自分の中に認めるからです。
根本的な考え方は恐らく変わりませんが、、
私はもっと国際間の緊張や軍事政策について勉強しなければならないのかもしれません。
私は個人的に関心を持って報道や文献を整理して調べたり、各種活動に注目したりしていますが、
最近は「平和学」という学問が開かれてきており、大変興味深いものも多くあります。
「平和学」によれば、あなたが疑問視してきた「武力行使反対派」の理論がかなりの
現実的レベルまで引き下げられて展開されていることがわかります。
平和学はあらゆる学問が総体的に組み合わさって連携しあう学問のようですから、自然科学や
社会科学、経済学、ジェンダー思想など、さまざまな観点からものごとを見る力を養えると思います。
わたしもぜひ機会があれば学んでみたいと考えています。
ただ、大事なのは「何のために学ぶのか」ということを見失ってはいけないと言う事です。
私たちは知恵比べをするために勉強するわけではないからです。
私は右にも左にも行こうとは思いません。
あなたに右にも左にも言って欲しいとは思いません。
何かに流されるのではなく、どちらかに偏るのでもなく、
「自分がどう生きたいか」でものごとを選択すれば、
おのずと全てが自分に関わっている事を知ることになります。
私は「軍事力」ではなく「教育」に心血を注ぐ事が国の最大の義務であると考えます。
私にとって、「積極的」自衛権の行使の是非についてあなたと話し合えた事は大変有意義なことでした。
まずはお互いにもっと「健全なる猜疑心」を育てることから呼びかけたいと思います。
教育基本法やら学習指導要領やら(これは関係ないかも)なんやらかんやら、
さまざまな観点から論述していかねばなりませんが、ここでは省略させてください。
しかし、だいたいの一般常識として挙げると、
戦前の教育には「自分で考え、行動する」という行為は許されていなかったということがあります。
何かを書くのも、何かを作るのも、すべて国益に繋がるように要求されていました。
そして国民は思考する力を奪われる形となり、「何か変だ」と感じても何も成す術がなかった。
それがそのまま流れ、小さなひずみが大きな歪みになって戦争に発展しました。
そしてあまりにも多くのものを失いました。
その大きすぎる代償で得た一番大きなものは「繰り返してはならない」という認識であり、
そして、新しい人間観の基にある「教育」だったのです。
戦後、私たちは「考える主体をつくるための教育」を受けることができるようになりました。
いかによりよい人生を送るかを「自分で考え、行動する権利」を得ました。
だからこそ、「新しいものを作り出す力」を得たのです。
もし、日本の教育がゆがむことなくずっと発展深化できていたなら、
そもそも戦争は起こらず、やはり産業はもっと進化することが出来ていた事でしょう。
歴史に「もし」はないとよく言われます。起こったことは変わらない事実です。
そして「歴史は繰り返す」とも言われます。
戦争は約50〜100年周期で起こってきた、それは人間が「忘れるから」です。
人間は学習する生きものであり、そして学び続けなければ簡単に忘れる生き物です。
現代はもう簡単に過去を忘れ去る事ができない時代になりました。
だからこそ今からまた「教育」を見直し、私たちは学び続けなければならないのです。
現行の教育にもさまざまな課題があり、本質を見失っているところがある。
そして変わろうとしている教育にも「何かおかしいところ」がある。
私はこの時代に、あなたのように若く、理論立ててものごとを捉えようとする人間が必要だと考えます。
あなたは反対派運動を展開する活動家たちの抽象的な表現や行き過ぎた行動に疑問を
覚えた、そして、今何が必要なのかを考えました。
そして私はあなたの理論に対して疑問に思うところを展開し、その中であなたの中にに少なからずも
「戦争は得策ではない」という希望にも似た考えがあることを認めることが出来ました。
私は「人間の鎖」の現場に立ち会っていました。しかし鎖に参加できなかった。
まだ私にもあなたとは逆の葛藤があることを自分の中に認めるからです。
根本的な考え方は恐らく変わりませんが、、
私はもっと国際間の緊張や軍事政策について勉強しなければならないのかもしれません。
私は個人的に関心を持って報道や文献を整理して調べたり、各種活動に注目したりしていますが、
最近は「平和学」という学問が開かれてきており、大変興味深いものも多くあります。
「平和学」によれば、あなたが疑問視してきた「武力行使反対派」の理論がかなりの
現実的レベルまで引き下げられて展開されていることがわかります。
平和学はあらゆる学問が総体的に組み合わさって連携しあう学問のようですから、自然科学や
社会科学、経済学、ジェンダー思想など、さまざまな観点からものごとを見る力を養えると思います。
わたしもぜひ機会があれば学んでみたいと考えています。
ただ、大事なのは「何のために学ぶのか」ということを見失ってはいけないと言う事です。
私たちは知恵比べをするために勉強するわけではないからです。
私は右にも左にも行こうとは思いません。
あなたに右にも左にも言って欲しいとは思いません。
何かに流されるのではなく、どちらかに偏るのでもなく、
「自分がどう生きたいか」でものごとを選択すれば、
おのずと全てが自分に関わっている事を知ることになります。
私は「軍事力」ではなく「教育」に心血を注ぐ事が国の最大の義務であると考えます。
私にとって、「積極的」自衛権の行使の是非についてあなたと話し合えた事は大変有意義なことでした。
まずはお互いにもっと「健全なる猜疑心」を育てることから呼びかけたいと思います。
「消極的な自衛権の行使」という言葉について
人間やその他の「生命」を引き換えにするという行為は
どのような場合であれ全面に押し出すことは許されるべきものではありません。
「実際に武力行為によって国民に死者が出ないと自衛権を行使しないのでしょうか?」
私自身、自衛権自体を現時点で全面撤廃することは現実的ではないと考えます。
ですからここで問題にしているのは「自衛権」ではなくそのまえの「積極的」という言葉なのです。
実際に武力行為がなされたとして、なぜその時日本は武力を行使されたかについて考えてみましょう。
私は以下のことを想定しました。
・侵略行為
・自国の不利益を解消するため
・けん制のため(やられる前にやる)
他にもあるかもしれませんが、総合的に考えてみても、「自分から戦争をしかける」という行為にはまず「国家間の外交の失敗」が
あるということがわかります。
戦争にも「開戦時にはその国に対して通告する」という一定のルールがありますね。
もし仮にA国が「侵略」目的で他国に攻撃をするという場合、その国は国際的ルールを遵守できない国と見なされます。
よってA国が対象とした国以外の国にとっても、A国は「脅威」として認識され、自国が国際的に孤立してもかまわないほど、
かなりの勝算や利点でもない限り、A国に協力する国は出てこないでしょう。(一部の人間の利潤としてはありうるかもしれませんが、
許されない行為ということに変わりありません)
現在のグローバル化した経済や物資の流通事情において、国際的に孤立するということは即死活問題に直結します。
「侵略行為」は武力行使で自国エネルギーを大量に消費しその上その間の国益の生産は完全にストップさせると言うことです。
かなりのエネルギーを自国で自給できなければ「侵略行為」は成立させることができない。
いくら「常識の通じない国」と揶揄されても、一応国際的に国家として扱われ国際会議にも席が用意される国が、
そのリスクを認識もしていないとは考えられません。
いずれにせよ目的に「侵略」がある場合、そのような大きな動きが全く察知されることなく進行するのは無理でしょう。
仮にも侵略されるかもしれないとしたとき、「侵略行為」が前提としてあるのであれば日本がたった三国と「積極的に」自衛しなくても
世界中がその動きに対してけん制する意思をみせるはずです。
「世界が守ってくれるから」と言いたいのではなく、「侵略」というケースにおいては世界中が対応すべき問題であると言う点から、
武力行為に及ばれる前に国際間で外交上の連携をとって対応することが最善策だということです。
今まで述べた意見の繰り返しになりますが、現在でも国際間で日本の軍事力は(軍備の豊富さという点で)一目置かれている状態です。
「戦えないわけではない、しかし戦いたくないからもっと話し合おう」というような軍事力を全面に押し出さない自衛の形は
「消極的自衛権」といえるでしょう。
ではその武力行使に消極的な姿勢のまま、可能な限りの最善策を尽くすためには?
まさに
あなたがお花畑発言だとした「産業の価値」にあるのです。
戦後、敗戦国家である日本が現在のように国際間でも重要な国であると認識されているのは、
「日本の産業」が抜きん出て優れたものだったからです。
製品の生産に限界まで上質さを求め、常に向上させる努力を怠らず、「どこに出してもはずかしくないもの」を
日本の産業は世界に発信し続けてきました。規模の大小はありますが、精密機械、医療、経済流通、通信技術など、
その内容は多岐にわたり、またその他にも文化的交流や技術指導も「産業」が生み出すネットワークの一つです。
この強みは是非とも「積極的に」打ち出し、さらに磨き続けなければなりません。
追いつかれればまた一歩素晴らしいものを創るだけの、その技術力と想像力こそ日本の強みだと言えます。
日本が誇るべき本当の価値とは、武力誇示の軍事力でも外交のかけ引きで他国をあげつらうことでもなく、
まさに「人がつくりだすもの」にあるのです。
世界の中における日本の価値はこういった点からアプローチし、まさにその形で「国防」とするべきなのです。
あなたが「稚拙かもしれない」と前置きしたのは「理想論かもしれない」という含みもあったことだろうと思います。
しかし、私やあなたが今自分の力でこの国のためにできることがあるとすれば、こういったことに関心を持ち続け、
社会の中で新しい事やものをつくろうとする姿勢でものごとを捉え、考えて動くことが、一番「現実的」ではないでしょうか。
そして人が何かを創り出すときの拠り所となるのが「教育」です。
日本の技術力は戦争があったからこそ持ちえたもではなかったか?という問いがあればその答えはNOです。
もし戦争が無ければ日本は古代から受け継いだ歴史ある物品や建造物を失うことなく、
戦争が費やし消し去ってしまった人命や自然や技術や時間の分だけもっと発展する事ができたでしょう。
第二次世界大戦後、日本が確かに認識し新しいものを獲得できたとすれば、それは
「今までの教育観は間違いではなかったか」ということです。
あまりにも長いので次に!
人間やその他の「生命」を引き換えにするという行為は
どのような場合であれ全面に押し出すことは許されるべきものではありません。
「実際に武力行為によって国民に死者が出ないと自衛権を行使しないのでしょうか?」
私自身、自衛権自体を現時点で全面撤廃することは現実的ではないと考えます。
ですからここで問題にしているのは「自衛権」ではなくそのまえの「積極的」という言葉なのです。
実際に武力行為がなされたとして、なぜその時日本は武力を行使されたかについて考えてみましょう。
私は以下のことを想定しました。
・侵略行為
・自国の不利益を解消するため
・けん制のため(やられる前にやる)
他にもあるかもしれませんが、総合的に考えてみても、「自分から戦争をしかける」という行為にはまず「国家間の外交の失敗」が
あるということがわかります。
戦争にも「開戦時にはその国に対して通告する」という一定のルールがありますね。
もし仮にA国が「侵略」目的で他国に攻撃をするという場合、その国は国際的ルールを遵守できない国と見なされます。
よってA国が対象とした国以外の国にとっても、A国は「脅威」として認識され、自国が国際的に孤立してもかまわないほど、
かなりの勝算や利点でもない限り、A国に協力する国は出てこないでしょう。(一部の人間の利潤としてはありうるかもしれませんが、
許されない行為ということに変わりありません)
現在のグローバル化した経済や物資の流通事情において、国際的に孤立するということは即死活問題に直結します。
「侵略行為」は武力行使で自国エネルギーを大量に消費しその上その間の国益の生産は完全にストップさせると言うことです。
かなりのエネルギーを自国で自給できなければ「侵略行為」は成立させることができない。
いくら「常識の通じない国」と揶揄されても、一応国際的に国家として扱われ国際会議にも席が用意される国が、
そのリスクを認識もしていないとは考えられません。
いずれにせよ目的に「侵略」がある場合、そのような大きな動きが全く察知されることなく進行するのは無理でしょう。
仮にも侵略されるかもしれないとしたとき、「侵略行為」が前提としてあるのであれば日本がたった三国と「積極的に」自衛しなくても
世界中がその動きに対してけん制する意思をみせるはずです。
「世界が守ってくれるから」と言いたいのではなく、「侵略」というケースにおいては世界中が対応すべき問題であると言う点から、
武力行為に及ばれる前に国際間で外交上の連携をとって対応することが最善策だということです。
今まで述べた意見の繰り返しになりますが、現在でも国際間で日本の軍事力は(軍備の豊富さという点で)一目置かれている状態です。
「戦えないわけではない、しかし戦いたくないからもっと話し合おう」というような軍事力を全面に押し出さない自衛の形は
「消極的自衛権」といえるでしょう。
ではその武力行使に消極的な姿勢のまま、可能な限りの最善策を尽くすためには?
まさに
あなたがお花畑発言だとした「産業の価値」にあるのです。
戦後、敗戦国家である日本が現在のように国際間でも重要な国であると認識されているのは、
「日本の産業」が抜きん出て優れたものだったからです。
製品の生産に限界まで上質さを求め、常に向上させる努力を怠らず、「どこに出してもはずかしくないもの」を
日本の産業は世界に発信し続けてきました。規模の大小はありますが、精密機械、医療、経済流通、通信技術など、
その内容は多岐にわたり、またその他にも文化的交流や技術指導も「産業」が生み出すネットワークの一つです。
この強みは是非とも「積極的に」打ち出し、さらに磨き続けなければなりません。
追いつかれればまた一歩素晴らしいものを創るだけの、その技術力と想像力こそ日本の強みだと言えます。
日本が誇るべき本当の価値とは、武力誇示の軍事力でも外交のかけ引きで他国をあげつらうことでもなく、
まさに「人がつくりだすもの」にあるのです。
世界の中における日本の価値はこういった点からアプローチし、まさにその形で「国防」とするべきなのです。
あなたが「稚拙かもしれない」と前置きしたのは「理想論かもしれない」という含みもあったことだろうと思います。
しかし、私やあなたが今自分の力でこの国のためにできることがあるとすれば、こういったことに関心を持ち続け、
社会の中で新しい事やものをつくろうとする姿勢でものごとを捉え、考えて動くことが、一番「現実的」ではないでしょうか。
そして人が何かを創り出すときの拠り所となるのが「教育」です。
日本の技術力は戦争があったからこそ持ちえたもではなかったか?という問いがあればその答えはNOです。
もし戦争が無ければ日本は古代から受け継いだ歴史ある物品や建造物を失うことなく、
戦争が費やし消し去ってしまった人命や自然や技術や時間の分だけもっと発展する事ができたでしょう。
第二次世界大戦後、日本が確かに認識し新しいものを獲得できたとすれば、それは
「今までの教育観は間違いではなかったか」ということです。
あまりにも長いので次に!
主義主張には責任がつきまとうという件についてもう少し。
私は「言ったんだから責任とって行けよ」とは「絶対に」言いません。
しかし、発言には必ず反応が生まれます。
実際、あなたがはじめに発言したとき、私のようなどこの誰かもわからない人間がこれほどまでに
あなたの発言に対して執着して反応をするとは思っていなかったでしょう。
匿名性の高いネット社会、それもこのような掲示板の中での発言に責任を求めるのは筋違いと言われるかもしれません。
しかし、ネットで発言すると言う事はそれこそ世界全体に発信されるということです。
さらに言えば、日本語を読めるのは日本人だけではない。
少なくともこのようなデリケートな問題を扱うのであれば、部分でしか知らないことに対して責任も手放して
発言することは文字通り無責任です。なぜならあなたの主張はすでに問題提起の域を超えて「説明」を試みているからです。
自衛隊の不祥事についての指摘ですが、わたしは「不祥事」をやり玉に挙げたつもりはありません。
あえて言うならその個人が起こした不祥事は自衛隊全体の機密に関わる「データの流出」です。自衛隊全体の
管理体制が問われても仕方ないことでしょう。そんな意識のままでは自国さえ守ることは出来ないし、
さらに言えば集団的自衛権を行使できるような価値もない。この個人の不祥事は全体を揺るがす大きな事件です。
平和活動家がサーキュレーターを外す行為について私はあなたの文言でしか判断できない。
もみ合っているうちに外れたのか、人命を奪う意図を持って外したのかもわかりません。よってこの発言に対しては否定も肯定もしません。
「今は軍隊が必要だと言う支持はいつまで続くかと言う問いへの回答」に対して。
「銃を持つのはやめろ、さもないと撃つぞ」という状態で銃を捨てられるでしょうか。
せめて「銃をおろしてくれ、こちらも撃ちたくはない」という姿勢で譲歩を求めるのが外交上の正攻法ではないかと考えます。
拉致被害については実際に被害に苦しんだ方々がいる、その救済には力強く主張せねばなりません。
しかしそれと同時に考えたいのは何故あのようなことが起きたのかです。
拉致した理由は?工作員の教育をせねばならなかった理由は?この国の社会構造は?人民は?思想は?さらに経済的情況は?諸外国との関係は?
あの国は社会体制が特異ですから、世界の「常識」とされるものは通用しないかもしれない。
しかしそれだけに「常識から脱却した新しい方法」であるいは何らかの展開が望めるかもしれません。
それは外交上の経済援助や制裁でもなく、また軍事力による威嚇でもないかもしれない。
何万もの国民を抱えるひとつの国が、自国に100パーセント不利な情況で譲歩するという情況は、
歴史的に見れば「戦争が起こってしまった後」にしか起こっていない。
相手の譲歩を前提に入れた軍事力威嚇の保持は出口の無い不毛なものです。
よってあなたの意見では「今は軍隊が必要だ」という支持をそれこそ恒久的にし続けなければならないのではないでしょうか。
外交努力に対して真摯に向き合わないのは諸外国とありますね。国際舞台という場所で直接的な対話を拒む国ももちろんあります。
しかし、わたしはあなた自身の言葉の中に希望を見出します。
「一緒に考えるとは相手の言い分側に立ち、自分の主張を一歩引いた場所から見る事からはじまるのではありませんか?」
この発言はまさに話し合いの基本だといえます。素晴らしい観点です。
さらに言えば「国」という場所の中には必ず「人の暮らし」があります。
だから、政府同士の「こんなに努力したんだから」という主張もとりあえず飲み込んで、「双方の国民のために」国家や機関は
もっと努力しなければなりません。
対人地雷についてですが、日本は地雷は持たずに地雷と同様の殺傷能力があるクラスター爆弾は大量に保持しています。
地雷もそのクラスター爆弾も非人道的な武器です。
クラスター爆弾についての会議は全面廃絶のための会議ではなく、せめて不発するものが多く戦後に市民を死傷する問題がある
旧型のクラスター爆弾については世界的に所持を禁止しようというものでした。
日本がクラスター爆弾は防衛上必要だとして「待った」をかけました。よってこの会議には結論は出ていません。
(おそらくあとのクラスター爆弾に関する質問は発言は純粋な質問でなく、「武器は地雷だけではないのでは」と問いたかったのだと思われます)
こんなに長くなってしまってすみません。
続きはまた明日書かせてください。
私は「言ったんだから責任とって行けよ」とは「絶対に」言いません。
しかし、発言には必ず反応が生まれます。
実際、あなたがはじめに発言したとき、私のようなどこの誰かもわからない人間がこれほどまでに
あなたの発言に対して執着して反応をするとは思っていなかったでしょう。
匿名性の高いネット社会、それもこのような掲示板の中での発言に責任を求めるのは筋違いと言われるかもしれません。
しかし、ネットで発言すると言う事はそれこそ世界全体に発信されるということです。
さらに言えば、日本語を読めるのは日本人だけではない。
少なくともこのようなデリケートな問題を扱うのであれば、部分でしか知らないことに対して責任も手放して
発言することは文字通り無責任です。なぜならあなたの主張はすでに問題提起の域を超えて「説明」を試みているからです。
自衛隊の不祥事についての指摘ですが、わたしは「不祥事」をやり玉に挙げたつもりはありません。
あえて言うならその個人が起こした不祥事は自衛隊全体の機密に関わる「データの流出」です。自衛隊全体の
管理体制が問われても仕方ないことでしょう。そんな意識のままでは自国さえ守ることは出来ないし、
さらに言えば集団的自衛権を行使できるような価値もない。この個人の不祥事は全体を揺るがす大きな事件です。
平和活動家がサーキュレーターを外す行為について私はあなたの文言でしか判断できない。
もみ合っているうちに外れたのか、人命を奪う意図を持って外したのかもわかりません。よってこの発言に対しては否定も肯定もしません。
「今は軍隊が必要だと言う支持はいつまで続くかと言う問いへの回答」に対して。
「銃を持つのはやめろ、さもないと撃つぞ」という状態で銃を捨てられるでしょうか。
せめて「銃をおろしてくれ、こちらも撃ちたくはない」という姿勢で譲歩を求めるのが外交上の正攻法ではないかと考えます。
拉致被害については実際に被害に苦しんだ方々がいる、その救済には力強く主張せねばなりません。
しかしそれと同時に考えたいのは何故あのようなことが起きたのかです。
拉致した理由は?工作員の教育をせねばならなかった理由は?この国の社会構造は?人民は?思想は?さらに経済的情況は?諸外国との関係は?
あの国は社会体制が特異ですから、世界の「常識」とされるものは通用しないかもしれない。
しかしそれだけに「常識から脱却した新しい方法」であるいは何らかの展開が望めるかもしれません。
それは外交上の経済援助や制裁でもなく、また軍事力による威嚇でもないかもしれない。
何万もの国民を抱えるひとつの国が、自国に100パーセント不利な情況で譲歩するという情況は、
歴史的に見れば「戦争が起こってしまった後」にしか起こっていない。
相手の譲歩を前提に入れた軍事力威嚇の保持は出口の無い不毛なものです。
よってあなたの意見では「今は軍隊が必要だ」という支持をそれこそ恒久的にし続けなければならないのではないでしょうか。
外交努力に対して真摯に向き合わないのは諸外国とありますね。国際舞台という場所で直接的な対話を拒む国ももちろんあります。
しかし、わたしはあなた自身の言葉の中に希望を見出します。
「一緒に考えるとは相手の言い分側に立ち、自分の主張を一歩引いた場所から見る事からはじまるのではありませんか?」
この発言はまさに話し合いの基本だといえます。素晴らしい観点です。
さらに言えば「国」という場所の中には必ず「人の暮らし」があります。
だから、政府同士の「こんなに努力したんだから」という主張もとりあえず飲み込んで、「双方の国民のために」国家や機関は
もっと努力しなければなりません。
対人地雷についてですが、日本は地雷は持たずに地雷と同様の殺傷能力があるクラスター爆弾は大量に保持しています。
地雷もそのクラスター爆弾も非人道的な武器です。
クラスター爆弾についての会議は全面廃絶のための会議ではなく、せめて不発するものが多く戦後に市民を死傷する問題がある
旧型のクラスター爆弾については世界的に所持を禁止しようというものでした。
日本がクラスター爆弾は防衛上必要だとして「待った」をかけました。よってこの会議には結論は出ていません。
(おそらくあとのクラスター爆弾に関する質問は発言は純粋な質問でなく、「武器は地雷だけではないのでは」と問いたかったのだと思われます)
こんなに長くなってしまってすみません。
続きはまた明日書かせてください。
「積極的」のあるのとないのとでは大きな差があるように思う。貴君自身「よくわからない」と言う主旨の発言をしておられる。
防衛は必要かも知れない、しかし緊張状態が続くのであれば尚更「積極的」というニュアンスは避けるべきではないか。そいで軍備より外交に繋がるコトにお金も時間もかける。国際協力・教育・福祉etc。戦争に変わる具体策は短いスパンでは捉えにくい根気のいる作業の連続だからいつも鼻で笑われるけど。でも戦争やるよりは生産的に思える。貴君のも是非聞きたい!敵と味方じゃないんだし教えてくれると大変有り難いです。
防衛は必要かも知れない、しかし緊張状態が続くのであれば尚更「積極的」というニュアンスは避けるべきではないか。そいで軍備より外交に繋がるコトにお金も時間もかける。国際協力・教育・福祉etc。戦争に変わる具体策は短いスパンでは捉えにくい根気のいる作業の連続だからいつも鼻で笑われるけど。でも戦争やるよりは生産的に思える。貴君のも是非聞きたい!敵と味方じゃないんだし教えてくれると大変有り難いです。
すっかり教えてチャンになりさがっていたわ。ごめなさいね。我ながらちゃっちぃ書き方で恥ずかしい限りです。
身内に自衛隊がいるから聞いてみるねっちゅーのはひどいやね。確かにいるかどーかなんてここではわからないもんねぇ。書かないことにするよ。反省!
人からの引用でモウシワケ-なんですがこの話の発端は「自衛権を積極的に行使するってどういうこと??」でしたね!
自衛隊を即撤廃せよ!!とは言ってない。あくまで「自衛」の立場を崩すつもりがないのであればあえて「積極的」というニュアンスを入れる必要があるのかというのが焦点でした。
身内に自衛隊がいるから聞いてみるねっちゅーのはひどいやね。確かにいるかどーかなんてここではわからないもんねぇ。書かないことにするよ。反省!
人からの引用でモウシワケ-なんですがこの話の発端は「自衛権を積極的に行使するってどういうこと??」でしたね!
自衛隊を即撤廃せよ!!とは言ってない。あくまで「自衛」の立場を崩すつもりがないのであればあえて「積極的」というニュアンスを入れる必要があるのかというのが焦点でした。
その時何が起こるか「正直わからない」のに結構な見通しを持って貴君は武力を肯定してるようですな。
感情論なんて結局賛成派反対派どっちの理論を攻撃するトキにでも持ち出されるよ〜。武力行使賛成派は今の段階では少数だから、現状だけあげればそれなりの論理には聞こえるし、ちょっと知識人ぽく見えるよね。きっと反対派の話は稚拙に思えてしかたないことだろう!!「話が通じない」感じがしてたまらないでしょうなぁ。
ところでクラスター爆弾廃絶が話題になってたけど、あれ日本は結局どう処理したの??拒否したん??
感情論なんて結局賛成派反対派どっちの理論を攻撃するトキにでも持ち出されるよ〜。武力行使賛成派は今の段階では少数だから、現状だけあげればそれなりの論理には聞こえるし、ちょっと知識人ぽく見えるよね。きっと反対派の話は稚拙に思えてしかたないことだろう!!「話が通じない」感じがしてたまらないでしょうなぁ。
ところでクラスター爆弾廃絶が話題になってたけど、あれ日本は結局どう処理したの??拒否したん??
【前線に送られる可能性】
戦争に行く行きたくないは感情論でしょう。他のトピでも主張しましたが、熱く国防を語る俺が有事の際には逃げ回るかもしれません 逆に徴兵制を危惧する貴兄が有事の際には名も知らない誰かの為に自己犠牲の態度を示すかもしれません。
その状況にならないと判断、理解できない感情でとりまく現実問題を問われても正直困ります。
【自衛隊員の不祥事について】
個人の不祥事で集団的自衛権および自衛隊の存在意義を否定する事には繋がりません
行き過ぎた平和活動家が海底調査のダイバーの命綱であるレギュレータを取り外す行為をもって平和希求の願い全体を否定できないように
【今は軍隊が必要かという支持はいつまで続くか?の問いに対して】
北朝鮮が核開発を止めて周辺諸国と足並みをそろえ、拉致問題の解決に前向きになり、中国が核放棄に取り組み、米国が撤退後にフィリピンの領土を武力で占領せずに周辺諸国の軍事要員が自衛隊レベルまで引き下げられ、その状況が恒久的続く時こそにです
【日本の外交努力の結果を水泡に帰す懸念】
残念ながら外交努力に真摯に向き合わないのは諸外国です
日本は対人地雷を破棄する条約に参加して実際に破棄しましたが、東アジアでこの条約に参加したのは【日本】だけです。
北朝鮮・中国はジュネーブ条約に加盟すらしていません。
隣国の拉致し、近海にミサイルを打ち込み、懸念ではなく実際に世界から孤立している国があり
対人地雷撤退に参加せず、周辺諸国の領土問題を武力を用いて圧力をかけ続ける国があり
自国領土と主張し国際法廷での解決に消極的な国があり
返還に話し合いで臨まずに応じる姿勢は無いと言いのける国があり
それらの国に囲まれた国がある
では逆に問いますが集団的自衛権を積極的行使せずにこれらの脅威から北から南までどうやれば安全に守れますか?
具体策を提示してください
戦争に行く行きたくないは感情論でしょう。他のトピでも主張しましたが、熱く国防を語る俺が有事の際には逃げ回るかもしれません 逆に徴兵制を危惧する貴兄が有事の際には名も知らない誰かの為に自己犠牲の態度を示すかもしれません。
その状況にならないと判断、理解できない感情でとりまく現実問題を問われても正直困ります。
【自衛隊員の不祥事について】
個人の不祥事で集団的自衛権および自衛隊の存在意義を否定する事には繋がりません
行き過ぎた平和活動家が海底調査のダイバーの命綱であるレギュレータを取り外す行為をもって平和希求の願い全体を否定できないように
【今は軍隊が必要かという支持はいつまで続くか?の問いに対して】
北朝鮮が核開発を止めて周辺諸国と足並みをそろえ、拉致問題の解決に前向きになり、中国が核放棄に取り組み、米国が撤退後にフィリピンの領土を武力で占領せずに周辺諸国の軍事要員が自衛隊レベルまで引き下げられ、その状況が恒久的続く時こそにです
【日本の外交努力の結果を水泡に帰す懸念】
残念ながら外交努力に真摯に向き合わないのは諸外国です
日本は対人地雷を破棄する条約に参加して実際に破棄しましたが、東アジアでこの条約に参加したのは【日本】だけです。
北朝鮮・中国はジュネーブ条約に加盟すらしていません。
隣国の拉致し、近海にミサイルを打ち込み、懸念ではなく実際に世界から孤立している国があり
対人地雷撤退に参加せず、周辺諸国の領土問題を武力を用いて圧力をかけ続ける国があり
自国領土と主張し国際法廷での解決に消極的な国があり
返還に話し合いで臨まずに応じる姿勢は無いと言いのける国があり
それらの国に囲まれた国がある
では逆に問いますが集団的自衛権を積極的行使せずにこれらの脅威から北から南までどうやれば安全に守れますか?
具体策を提示してください
【主張に俺の存在が感じられない件】
先ずは始めに言っておきますが、この主張に俺の存在が感じられなくても何の問題も無いかと思いますが?
沖縄県民の書き込みだろうと、米国市民の書き込みだろうと、イラク市民の書き込みだろうと、沖縄・日本を取り巻く【現実】を示している事には違いありません。 逆にこの主張こそ基地反対派や自衛権行使に疑問視する方々が立ち向かう問題とさえ思っています。
【軍事強化に対して】
自衛隊の勧誘は今に始まった事ではなく、しかもそれは徴兵ではありません。
断って平和活動にいそしんでも問題ないはずです。
軍事提携ですからノウハウが叩込まれるのも当たり前かと思われますし、逆に言えば大した武装もなくイロハも知らずに核兵器に対して自衛せよというのが酷でしょう。
「日本が武力脅威に曝されたら速やかに支援してください。しかし協力国が同じ立場になっても日本は支援しません」
この考え方こそが世界から孤立するのでは?
【集団的自衛権が軍備・徴兵制の抑止に繋がると考える理由】
集団的自衛権の積極的行使を行わないのであれば防衛のバランスはどうしても自国力だけにシフトします。
自衛隊:24万人
北朝鮮:110万人
中国:150万人
韓国:67万人
ロシア:99万人
周辺諸国と比較してもあまりにひ弱です
他国の軍事力をあてにせずにこの圧倒的差を埋めるとなるとそれこせ徴兵制をしかなければ追いつきません
技術力の転用でどうにかならない問題で、技術力のみで核兵器・物量から完全に自国を防衛できる国はありません
ミサイル防衛構想もアメリカと共同せずに自前で確立せねばならないのならばそれこそ軍備の拡張を招きます。
*上記の説明はアメリカに従属せよという主張ではありません
【イラク開戦の問いに対して】
アメリカがイラク側の外交・譲歩を受け入れず開戦に踏み切った。周知の事実である事は間違い無いでしょう。そもそも戦争に善悪などなく、戦争が起こるのは話し合いが通じなく一方的な突出したバランスが起因するとこの戦争で改めて認識しました
【なぜ軍強化によって守られると信じるのですか?の問いに対して】
俺は外交努力と国防は表裏一体であり、どちらのバランスを欠いても効果的な結果は薄いといった考えを示しています。
続きは後ほど・・・・
先ずは始めに言っておきますが、この主張に俺の存在が感じられなくても何の問題も無いかと思いますが?
沖縄県民の書き込みだろうと、米国市民の書き込みだろうと、イラク市民の書き込みだろうと、沖縄・日本を取り巻く【現実】を示している事には違いありません。 逆にこの主張こそ基地反対派や自衛権行使に疑問視する方々が立ち向かう問題とさえ思っています。
【軍事強化に対して】
自衛隊の勧誘は今に始まった事ではなく、しかもそれは徴兵ではありません。
断って平和活動にいそしんでも問題ないはずです。
軍事提携ですからノウハウが叩込まれるのも当たり前かと思われますし、逆に言えば大した武装もなくイロハも知らずに核兵器に対して自衛せよというのが酷でしょう。
「日本が武力脅威に曝されたら速やかに支援してください。しかし協力国が同じ立場になっても日本は支援しません」
この考え方こそが世界から孤立するのでは?
【集団的自衛権が軍備・徴兵制の抑止に繋がると考える理由】
集団的自衛権の積極的行使を行わないのであれば防衛のバランスはどうしても自国力だけにシフトします。
自衛隊:24万人
北朝鮮:110万人
中国:150万人
韓国:67万人
ロシア:99万人
周辺諸国と比較してもあまりにひ弱です
他国の軍事力をあてにせずにこの圧倒的差を埋めるとなるとそれこせ徴兵制をしかなければ追いつきません
技術力の転用でどうにかならない問題で、技術力のみで核兵器・物量から完全に自国を防衛できる国はありません
ミサイル防衛構想もアメリカと共同せずに自前で確立せねばならないのならばそれこそ軍備の拡張を招きます。
*上記の説明はアメリカに従属せよという主張ではありません
【イラク開戦の問いに対して】
アメリカがイラク側の外交・譲歩を受け入れず開戦に踏み切った。周知の事実である事は間違い無いでしょう。そもそも戦争に善悪などなく、戦争が起こるのは話し合いが通じなく一方的な突出したバランスが起因するとこの戦争で改めて認識しました
【なぜ軍強化によって守られると信じるのですか?の問いに対して】
俺は外交努力と国防は表裏一体であり、どちらのバランスを欠いても効果的な結果は薄いといった考えを示しています。
続きは後ほど・・・・
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