沖縄は日本固有の領土ではない [426]
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作成日時:2018/08/30 07:27:28
沖縄はもともと琉球王国が統治していたから日本固有の領土ではない。
投稿メッセージを表示( 426 件中 301 件 〜 310 件目)
1910年に日本が朝鮮半島を併合したとき、日本政府は「朝鮮半島は日本固有の領土」と主張しなかった。
この件で外務省国際法課に聞いてみたところ、「日本が併合した地域は日本固有の領土という言い方はしません」という回答だった。
その理由を聞いたら「日本が併合したということは、それまでは日本の領土ではなかったからです」と説明していた。
日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と主張しないのは、沖縄は日本が併合するまでは琉球王国が統治していたからなのは言うまでもない。
この件で外務省国際法課に聞いてみたところ、「日本が併合した地域は日本固有の領土という言い方はしません」という回答だった。
その理由を聞いたら「日本が併合したということは、それまでは日本の領土ではなかったからです」と説明していた。
日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と主張しないのは、沖縄は日本が併合するまでは琉球王国が統治していたからなのは言うまでもない。
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第1回行政主席通常選挙(1968年11月10日)
屋良朝苗(無所属、共産党、社会党推薦)=日本復帰を主張
得票数
23万7643票(得票率53・51%)
西銘順治(沖縄自由民主党)=日本復帰に反対を主張
得票数
20万6209票(得票率46・43%)
選挙に敗れた沖縄自由民主党の西銘順治氏は「沖縄がいま日本復帰すれば芋と裸足の生活に戻る」として日本復帰に反対の立場を取っていた。
一方、共産党や社会党が推薦した屋良朝苗氏は「米軍基地の即時無条件全面返還」を掲げて立候補し、この政策が沖縄の有権者から支持されて見事当選を果たした。
屋良朝苗(無所属、共産党、社会党推薦)=日本復帰を主張
得票数
23万7643票(得票率53・51%)
西銘順治(沖縄自由民主党)=日本復帰に反対を主張
得票数
20万6209票(得票率46・43%)
選挙に敗れた沖縄自由民主党の西銘順治氏は「沖縄がいま日本復帰すれば芋と裸足の生活に戻る」として日本復帰に反対の立場を取っていた。
一方、共産党や社会党が推薦した屋良朝苗氏は「米軍基地の即時無条件全面返還」を掲げて立候補し、この政策が沖縄の有権者から支持されて見事当選を果たした。
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沖縄初の主席公選(1968年11月10日)
屋良朝苗(無所属)=日本復帰を主張
得票数
23万7643票(得票率53・51%)
西銘順治(沖縄自由民主党)=日本復帰に反対を主張
得票数
20万6209票(得票率46・43%)
日本復帰に反対を主張していた西銘順治氏に投票した沖縄人は20万6209人もいた。
この割合は全投票者数の46・43%に当たるので、当時の沖縄人の半数近くは日本復帰に反対だったことになる。
したがって、右派系論者たちがこれまで言っていた「沖縄の人たちはみんな日本への復帰を望んでいた」というのは真っ赤な嘘である。
屋良朝苗(無所属)=日本復帰を主張
得票数
23万7643票(得票率53・51%)
西銘順治(沖縄自由民主党)=日本復帰に反対を主張
得票数
20万6209票(得票率46・43%)
日本復帰に反対を主張していた西銘順治氏に投票した沖縄人は20万6209人もいた。
この割合は全投票者数の46・43%に当たるので、当時の沖縄人の半数近くは日本復帰に反対だったことになる。
したがって、右派系論者たちがこれまで言っていた「沖縄の人たちはみんな日本への復帰を望んでいた」というのは真っ赤な嘘である。
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1968年11月10日に行われた沖縄初の主席公選で保守系候補として出馬した西銘順治氏は「沖縄が本土に復帰すると芋と裸足の生活に戻る」と主張して復帰に反対していた。
その西銘順治氏に投票した人は20万人余り。
だから右派系論者たちが「沖縄の人たちはみんな本土復帰を望んでいた」というのは真っ赤な嘘である。
ちなみに西銘順治氏はその後、衆議院議員を務め、沖縄県知事も2期務めている。
その西銘順治氏に投票した人は20万人余り。
だから右派系論者たちが「沖縄の人たちはみんな本土復帰を望んでいた」というのは真っ赤な嘘である。
ちなみに西銘順治氏はその後、衆議院議員を務め、沖縄県知事も2期務めている。
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訂正
沖縄の復帰運動というのは一部の人たちがやったことであって大半の人は復帰運動に参加していなかったし、実際、選挙の結果を見ても分かるように復帰を望んでいた人は全体の半数もいなかった。
その証拠に、日本復帰を主張して立候補した屋良朝苗氏の得票率は46%にとどまった。
沖縄の復帰運動というのは一部の人たちがやったことであって大半の人は復帰運動に参加していなかったし、実際、選挙の結果を見ても分かるように復帰を望んでいた人は全体の半数もいなかった。
その証拠に、日本復帰を主張して立候補した屋良朝苗氏の得票率は46%にとどまった。
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沖縄の復帰運動というのは一部の人たちがやったことであって大半の人は復帰運動に参加していなかったし、実際、選挙の結果を見ても分かるように復帰を望んでいた人は全体の半数もいなかった。
その証拠に、日本復帰を主張して立候補した屋良朝苗氏のの得票率は46%にとどまった。
その証拠に、日本復帰を主張して立候補した屋良朝苗氏のの得票率は46%にとどまった。
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訂正
沖縄の復帰運動というのは一部の人たちがやったことであって大半の人は復帰運動に参加していない。
その証拠に、日本復帰を主張して立候補した屋良朝苗氏の得票率は46%にとどまった。
沖縄の復帰運動というのは一部の人たちがやったことであって大半の人は復帰運動に参加していない。
その証拠に、日本復帰を主張して立候補した屋良朝苗氏の得票率は46%にとどまった。
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沖縄の復帰運動というのは一部の人たちがやったことであって大半の人は復帰運動に参加していない。
その証拠に、日本復帰を主張して立候補した屋良朝苗氏のの得票率は46%にとどまった。
その証拠に、日本復帰を主張して立候補した屋良朝苗氏のの得票率は46%にとどまった。
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日本復帰を望んでいた沖縄人は実は46%しかいなかった。
その証拠に、1968年11月10日に行われた沖縄初の主席公選で、日本復帰を主張して当選した屋良朝苗氏の獲得票数は、当時の沖縄の全有権者数の46%しかなかった。
その証拠に、1968年11月10日に行われた沖縄初の主席公選で、日本復帰を主張して当選した屋良朝苗氏の獲得票数は、当時の沖縄の全有権者数の46%しかなかった。
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<日本復帰を望んでいた沖縄人は実は46%しかいなかった>
1968年11月10日に行われた沖縄初の主席公選で日本復帰を主張した屋良朝苗氏が獲得した票数は23万7643票。
一方、当時の沖縄の全有権者数は51万5246人。
この数字を見れば分かる通り、日本復帰を望んでいた沖縄人は全体の46%しかいなかったことが分かる。
右派系論者たちがよく「沖縄の人たちは日本復帰を望んでいた」と言うが、調べてみたら日本復帰を望んでいた沖縄の人は実は全体の半分もいなかった。
1968年11月10日に行われた沖縄初の主席公選で日本復帰を主張した屋良朝苗氏が獲得した票数は23万7643票。
一方、当時の沖縄の全有権者数は51万5246人。
この数字を見れば分かる通り、日本復帰を望んでいた沖縄人は全体の46%しかいなかったことが分かる。
右派系論者たちがよく「沖縄の人たちは日本復帰を望んでいた」と言うが、調べてみたら日本復帰を望んでいた沖縄の人は実は全体の半分もいなかった。
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