沖縄は日本固有の領土ではない [431]
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作成日時:2018/08/30 07:27:28
沖縄はもともと琉球王国が統治していたから日本固有の領土ではない。
投稿メッセージを表示( 431 件中 226 件 〜 240 件目)
日本政府は「尖閣諸島は日本固有の領土」「尖閣諸島に領土問題は存在しない」と主張し、外務省のホームページにもそのように書かれている。
ところが日本政府は「東京は日本固有の領土」「大阪は日本固有の領土」「京都は日本固有の領土」「本州は日本固有の領土」「四国は日本固有の領土」「九州は日本固有の領土」などとは絶対に言わない。
東京や京都、大阪には領土問題が存在しないから、それらの地域を「日本固有の領土」と言わないのなら、「尖閣諸島に領土問題は存在しない」と主張する日本政府が「尖閣諸島は日本固有の領土」と主張するのは明らかに矛盾している。
ところが日本政府は「東京は日本固有の領土」「大阪は日本固有の領土」「京都は日本固有の領土」「本州は日本固有の領土」「四国は日本固有の領土」「九州は日本固有の領土」などとは絶対に言わない。
東京や京都、大阪には領土問題が存在しないから、それらの地域を「日本固有の領土」と言わないのなら、「尖閣諸島に領土問題は存在しない」と主張する日本政府が「尖閣諸島は日本固有の領土」と主張するのは明らかに矛盾している。
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約20万年前にアフリカで誕生した原生人類が日本に渡ったのは約3万8000年前とされている。
日本列島や琉球諸島に渡ってきた人類は大きく分けて以下の3つのルートがある。
1.朝鮮半島から対馬を通り九州へ渡った「対馬ルート」
2.台湾から南西諸島を北上する「沖縄ルート」
3.ユーラシア大陸の北側からサハリンを経由する「北海道ルート」
本土の日本人は朝鮮半島から渡った「対馬ルート」が大半で、南の台湾から南西諸島を北上してきた沖縄人とは明らかに民族が異なる。
日本列島や琉球諸島に渡ってきた人類は大きく分けて以下の3つのルートがある。
1.朝鮮半島から対馬を通り九州へ渡った「対馬ルート」
2.台湾から南西諸島を北上する「沖縄ルート」
3.ユーラシア大陸の北側からサハリンを経由する「北海道ルート」
本土の日本人は朝鮮半島から渡った「対馬ルート」が大半で、南の台湾から南西諸島を北上してきた沖縄人とは明らかに民族が異なる。
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日本政府は「尖閣諸島は日本固有の領土」と主張し、「尖閣諸島は沖縄県に属する」とも主張している。
ところが日本政府は「沖縄は日本固有の領土」とは絶対に言わない。
日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と言えないのは、141年前の1879年3月27日に沖縄の前身である琉球王国を武力的威嚇のもと併合した歴史的事実があるからだ。
併合した地域を「我が国固有の領土」と主張してしまうと、国際社会から笑いものになるから日本政府は誰一人として「沖縄は日本固有の領土」とは言えない。
事実、1910年に日本が朝鮮半島を併合してから1952年にサンフランシスコ講和条約の発効により、朝鮮半島への日本の主権が放棄されるまでの42年間、日本政府は誰一人として「朝鮮半島は日本固有の領土」とは言わなかった。
外務省国際法課に「日本が併合した地域は日本固有の領土と言えるのか?」と質問したことがあるが、対応した国際法課の職員は「併合以前は他国の領土だったわけだから、『日本固有の領土』という言い方はできない」と説明していた。
沖縄は1879年に日本が併合した地域で、それまでは琉球王国が統治していた地域だから、日本政府は未来永劫にわたって「沖縄は日本固有の領土」とは言えないのである。
ところが日本政府は「沖縄は日本固有の領土」とは絶対に言わない。
日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と言えないのは、141年前の1879年3月27日に沖縄の前身である琉球王国を武力的威嚇のもと併合した歴史的事実があるからだ。
併合した地域を「我が国固有の領土」と主張してしまうと、国際社会から笑いものになるから日本政府は誰一人として「沖縄は日本固有の領土」とは言えない。
事実、1910年に日本が朝鮮半島を併合してから1952年にサンフランシスコ講和条約の発効により、朝鮮半島への日本の主権が放棄されるまでの42年間、日本政府は誰一人として「朝鮮半島は日本固有の領土」とは言わなかった。
外務省国際法課に「日本が併合した地域は日本固有の領土と言えるのか?」と質問したことがあるが、対応した国際法課の職員は「併合以前は他国の領土だったわけだから、『日本固有の領土』という言い方はできない」と説明していた。
沖縄は1879年に日本が併合した地域で、それまでは琉球王国が統治していた地域だから、日本政府は未来永劫にわたって「沖縄は日本固有の領土」とは言えないのである。
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琉球王国の誕生=1429年
薩摩の琉球侵攻=1609年
琉球王国は薩摩が侵攻する180年も前から存在していた。
薩摩は琉球王国が存続していた450年間すべてにおいて支配していたわけではなく、少なくとも前半の180年間は薩摩を含め日本のどこからも干渉されずに諸外国と交易を行ってきたという歴史的事実がある。
だからその琉球王国を前身に持つ現在の沖縄は日本固有の領土とは言えない。
事実、日本政府はこれまでただの一度も「沖縄は日本固有の領土」と言ったことがない。
薩摩の琉球侵攻=1609年
琉球王国は薩摩が侵攻する180年も前から存在していた。
薩摩は琉球王国が存続していた450年間すべてにおいて支配していたわけではなく、少なくとも前半の180年間は薩摩を含め日本のどこからも干渉されずに諸外国と交易を行ってきたという歴史的事実がある。
だからその琉球王国を前身に持つ現在の沖縄は日本固有の領土とは言えない。
事実、日本政府はこれまでただの一度も「沖縄は日本固有の領土」と言ったことがない。
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日本政府は1880年代に尖閣諸島を発見し1895年1月14日の閣議決定において尖閣諸島を沖縄県に編入し日本の領土としたと説明しているが、実は、それより数十年も前から尖閣諸島が琉球王国の版図にあったことを示す地図が存在することが分かっている。
その地図とは「渡閩(とびん)航路図」というもので、この「渡閩(とびん)航路図」は琉球王国が清国と交易していた時代に作図されたといわれ、琉球側から清国に向けて出港する際、航海の目印として図の中に尖閣諸島が描かれたのだといわれている。
つまり、日本政府が尖閣諸島を発見する前から琉球王国は尖閣諸島の存在を知っていたことになる。
ちなみに実物の「渡閩(とびん)航路図」現在、沖縄県立博物館に展示されている。
その地図とは「渡閩(とびん)航路図」というもので、この「渡閩(とびん)航路図」は琉球王国が清国と交易していた時代に作図されたといわれ、琉球側から清国に向けて出港する際、航海の目印として図の中に尖閣諸島が描かれたのだといわれている。
つまり、日本政府が尖閣諸島を発見する前から琉球王国は尖閣諸島の存在を知っていたことになる。
ちなみに実物の「渡閩(とびん)航路図」現在、沖縄県立博物館に展示されている。
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琉球王国の誕生=1429年
薩摩の琉球侵攻=1609年
琉球王国は薩摩が侵攻する180年も前から存在していて450年もの間、主権国家として存続していた。
薩摩は琉球王国存続期間のすべてにおいて支配していたわけではなく、少なくとも180年間は日本のどこからも干渉されずに諸外国と交易を行ってきたという歴史的事実がある。
だからその琉球王国を前身に持つ現在の沖縄は日本固有の領土とは言えない。
事実、日本政府はこれまでただの一度も「沖縄は日本固有の領土」と言ったことがない。
薩摩の琉球侵攻=1609年
琉球王国は薩摩が侵攻する180年も前から存在していて450年もの間、主権国家として存続していた。
薩摩は琉球王国存続期間のすべてにおいて支配していたわけではなく、少なくとも180年間は日本のどこからも干渉されずに諸外国と交易を行ってきたという歴史的事実がある。
だからその琉球王国を前身に持つ現在の沖縄は日本固有の領土とは言えない。
事実、日本政府はこれまでただの一度も「沖縄は日本固有の領土」と言ったことがない。
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日本政府は「尖閣諸島は日本固有の領土」と主張し「尖閣諸島は沖縄県に属する」とも主張しているが、なぜか「沖縄は日本固有の領土」とは主張しない。
日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と主張できないのは1879年3月27日に沖縄の前身である琉球王国を武力的威嚇のもと併合した歴史的事実があるからだ。
琉球王国が日本の領土だったなら日本政府が軍隊を動員してその琉球王国を併合するわけがないし併合する必要もない。
琉球王国を前身に持つ沖縄が日本固有の領土でないことは皮肉なことに日本政府自らが証明してしまった。
日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と主張できないのは1879年3月27日に沖縄の前身である琉球王国を武力的威嚇のもと併合した歴史的事実があるからだ。
琉球王国が日本の領土だったなら日本政府が軍隊を動員してその琉球王国を併合するわけがないし併合する必要もない。
琉球王国を前身に持つ沖縄が日本固有の領土でないことは皮肉なことに日本政府自らが証明してしまった。
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沖縄人の多くが自らを日本人と思っていないのは以下の事実が証明している。
1.2013年9月20日付の琉球新報に「ヤマトンチュ(日本人)」と書かれているが、琉球新報に読者からのクレームは一切なかった
2.2013年4月25日に琉球新報ホールで行われた「フォーラム4・28 沖縄から主権を問う」で佐藤優氏が「私の父親は日本人で、母親は沖縄人」と発言したが特に異論はなかった
3.「還」(藤原書店)という雑誌で沖縄タイムス元社長の新川明氏が「ヤマトンチュ(日本人)」と書いているが沖縄から苦情などはなかった
4.2013年4月28日に名護市の稲嶺市長が沖縄タイムスの取材に対し「『がってぃんならん』という気持ちは日本語では説明しにくい」というコメントを出している
5. 2015年11月11日付の沖縄タイムスに「日本人(ヤマトンチュ)」と書かれているが、読者からクレームは一切なかった
1.2013年9月20日付の琉球新報に「ヤマトンチュ(日本人)」と書かれているが、琉球新報に読者からのクレームは一切なかった
2.2013年4月25日に琉球新報ホールで行われた「フォーラム4・28 沖縄から主権を問う」で佐藤優氏が「私の父親は日本人で、母親は沖縄人」と発言したが特に異論はなかった
3.「還」(藤原書店)という雑誌で沖縄タイムス元社長の新川明氏が「ヤマトンチュ(日本人)」と書いているが沖縄から苦情などはなかった
4.2013年4月28日に名護市の稲嶺市長が沖縄タイムスの取材に対し「『がってぃんならん』という気持ちは日本語では説明しにくい」というコメントを出している
5. 2015年11月11日付の沖縄タイムスに「日本人(ヤマトンチュ)」と書かれているが、読者からクレームは一切なかった
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伊藤博文、大隈重信、大久保利通ら幕末から明治維新にかけての日本の政治家は「琉球人は日本人ではない」と言っておきながら、1871年に宮古島の島民が乗った漁船が台湾に漂着して台湾の先住民族である蛮族に54人が殺害された事件の報復措置として1874年に台湾出兵を決行している。
そのときの明治政府の主張は「琉球人は日本人」。
明治政府が琉球人を日本人と主張して台湾出兵を決行したのは、当時、日本の領土ではなかった琉球を奪い、領土を拡大するという国家としての野望があったからで、そのため琉球の人々を「日本人」としなければ台湾への報復措置、すなわち台湾出兵の名目が立たなかったのである。
日本の明治政府は政治的な理由で、あるいは都合が良いときだけ「琉球人は日本人」と言って外国に対して嘘をついていた。
そのときの明治政府の主張は「琉球人は日本人」。
明治政府が琉球人を日本人と主張して台湾出兵を決行したのは、当時、日本の領土ではなかった琉球を奪い、領土を拡大するという国家としての野望があったからで、そのため琉球の人々を「日本人」としなければ台湾への報復措置、すなわち台湾出兵の名目が立たなかったのである。
日本の明治政府は政治的な理由で、あるいは都合が良いときだけ「琉球人は日本人」と言って外国に対して嘘をついていた。
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我々沖縄人にとって日本語は沖縄固有の言語ではない。
なぜなら沖縄の前身にである琉球王国の時代には日本語を話す人はいなかったから。
ちなみに「松山御殿(まちやまうどぅん)物語」という本の中に琉球王国最後の国王だった尚泰王の四男で尚順という人が書いた日記が紹介されているが、その本の中に「ヤマト(日本)の役人が話す日本語はさっぱり意味がわからない」という箇所がある。
なぜなら沖縄の前身にである琉球王国の時代には日本語を話す人はいなかったから。
ちなみに「松山御殿(まちやまうどぅん)物語」という本の中に琉球王国最後の国王だった尚泰王の四男で尚順という人が書いた日記が紹介されているが、その本の中に「ヤマト(日本)の役人が話す日本語はさっぱり意味がわからない」という箇所がある。
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2013年4月に琉球新報ホールで行われた「フォーラム4・28 沖縄から『主権』を問う」という公開討論会で、作家の佐藤優氏(元外務省主任分析官)が「私の父は日本人で、母は沖縄人」と言ったときに「我々沖縄人も日本人だぞ!」という声は上がらなかった。
聴衆のほとんどが地元の沖縄人であったにもかかわらず、沖縄人は佐藤氏のこの発言を当然のこととして聞き流していた。
そもそも沖縄人は日本人とはエスニックアイデンティティーが違うと思っているから佐藤氏の発言に違和感を持たない。
また、2012年9月20日付の琉球新報の記事にも「ヤマトンチュ(日本人)」と書かれている。
ヤマトンチュが日本人であるならヤマトンチュではない我々ウチナーンチュ(沖縄人)は日本人ではないということになるが、この記事について沖縄では特に問題にはならなかった。
聴衆のほとんどが地元の沖縄人であったにもかかわらず、沖縄人は佐藤氏のこの発言を当然のこととして聞き流していた。
そもそも沖縄人は日本人とはエスニックアイデンティティーが違うと思っているから佐藤氏の発言に違和感を持たない。
また、2012年9月20日付の琉球新報の記事にも「ヤマトンチュ(日本人)」と書かれている。
ヤマトンチュが日本人であるならヤマトンチュではない我々ウチナーンチュ(沖縄人)は日本人ではないということになるが、この記事について沖縄では特に問題にはならなかった。
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1968年11月10日に行われた第1回行政主席通常選挙は沖縄初の行政主席選挙として国内のみならず米国からも注目を集めた一大イベントだった。
選挙の最大の争点は「沖縄の日本復帰」の是非論で、共産党や社会党が応援する屋良朝苗氏と自民党が推薦する西銘順治氏の一騎打ちとなった。
屋良氏は「沖縄の早期日本復帰」を主張し、西銘氏は「沖縄の日本復帰は時期尚早」として屋良陣営の政策を批判していた。
結果は共産党や社会党が応援する屋良氏が23万7000票余りを獲得し、自民党推薦の西銘氏(20万6000票)を破って当選した。
投票率は89・11%だった。
両氏の得票割合を見ると屋良氏が54で西銘氏が46。
沖縄の早期日本復帰を主張した屋良氏に投票した有権者は当時の沖縄の有権者全体の46%だったので、「沖縄の人たちは皆、早期の日本復帰を望んでいた」という保守系論者の主張は事実と異なる。
選挙の最大の争点は「沖縄の日本復帰」の是非論で、共産党や社会党が応援する屋良朝苗氏と自民党が推薦する西銘順治氏の一騎打ちとなった。
屋良氏は「沖縄の早期日本復帰」を主張し、西銘氏は「沖縄の日本復帰は時期尚早」として屋良陣営の政策を批判していた。
結果は共産党や社会党が応援する屋良氏が23万7000票余りを獲得し、自民党推薦の西銘氏(20万6000票)を破って当選した。
投票率は89・11%だった。
両氏の得票割合を見ると屋良氏が54で西銘氏が46。
沖縄の早期日本復帰を主張した屋良氏に投票した有権者は当時の沖縄の有権者全体の46%だったので、「沖縄の人たちは皆、早期の日本復帰を望んでいた」という保守系論者の主張は事実と異なる。
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日本政府は「尖閣諸島は我が国固有の領土」と主張し「尖閣諸島は沖縄県に属する」とも主張している。
であるなら日本政府は「沖縄は日本固有の領土」とも主張できるはずだが、日本政府はただの一度も「沖縄は日本固有の領土」と主張したことがない。
日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と主張できないのは141年前の1879年3月27日に、当時の日本政府が軍隊を動員して武力的威嚇のもと沖縄の前身である琉球王国を併合したからにほかならない。
日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と主張してしまうと、「沖縄は日本が併合するまでは琉球王国という別の国だったじゃないか?」と国内外の識者から追及されることになるし、日本政府もそのように追及されたら反論できないから「沖縄は日本固有の領土」とは口が裂けても言えない。
であるなら日本政府は「沖縄は日本固有の領土」とも主張できるはずだが、日本政府はただの一度も「沖縄は日本固有の領土」と主張したことがない。
日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と主張できないのは141年前の1879年3月27日に、当時の日本政府が軍隊を動員して武力的威嚇のもと沖縄の前身である琉球王国を併合したからにほかならない。
日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と主張してしまうと、「沖縄は日本が併合するまでは琉球王国という別の国だったじゃないか?」と国内外の識者から追及されることになるし、日本政府もそのように追及されたら反論できないから「沖縄は日本固有の領土」とは口が裂けても言えない。
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「領土」と「固有の領土」は意味が違う。
俺が主張しているのは「沖縄は日本固有の領土」ではないということ。
国語辞典の大辞泉には「固有」とは「本来持っていること」、「本来」とは「もともとそうであること」、「領土」とは「国家の統治権が及ぶ区域」と定義されている。
沖縄はもともと琉球王国が統治していた地域で、琉球王国には日本の統治権が及んでいなかったから、その琉球王国を前身に持つ沖縄は日本固有の領土とは言えない。
琉球王国に日本の統治権が及んでいなかったことは141年前の1879年3月27日に当時の日本政府が軍隊を動員して、その琉球王国を武力的威嚇のもと併合した歴史的事実で説明できる。
そもそも琉球王国が日本の領土だったなら、日本政府がわざわざ軍隊を動員して琉球王国を武力併合するわけがないし、併合する必要もない。
琉球王国が日本の領土でなかったことは皮肉なことに日本政府自らが軍隊を動員して併合したことで見事に証明してしまった。
ゆえにその琉球王国を前身に持つ現在の沖縄は日本固有の領土とは言えない。
俺が主張しているのは「沖縄は日本固有の領土」ではないということ。
国語辞典の大辞泉には「固有」とは「本来持っていること」、「本来」とは「もともとそうであること」、「領土」とは「国家の統治権が及ぶ区域」と定義されている。
沖縄はもともと琉球王国が統治していた地域で、琉球王国には日本の統治権が及んでいなかったから、その琉球王国を前身に持つ沖縄は日本固有の領土とは言えない。
琉球王国に日本の統治権が及んでいなかったことは141年前の1879年3月27日に当時の日本政府が軍隊を動員して、その琉球王国を武力的威嚇のもと併合した歴史的事実で説明できる。
そもそも琉球王国が日本の領土だったなら、日本政府がわざわざ軍隊を動員して琉球王国を武力併合するわけがないし、併合する必要もない。
琉球王国が日本の領土でなかったことは皮肉なことに日本政府自らが軍隊を動員して併合したことで見事に証明してしまった。
ゆえにその琉球王国を前身に持つ現在の沖縄は日本固有の領土とは言えない。
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日本政府が「明治150年」を大々的にアピールして明治維新以降の日本は素晴らしい時代だったと国民に訴えているが、我々は日本政府の嘘に騙されてはならない。
明治時代というのは一言で言えば、戦争の時代だったわけで、その象徴が日清戦争と日露戦争である。
また、明治時代には日本政府が台湾を植民地支配したり朝鮮を併合しただけでなく、蝦夷を北海道と勝手に名称変更したり沖縄の前身である琉球王国を武力併合している。
時代が明治から大正、そして昭和に変わってからも国民は日本帝国主義国家に翻弄されて第二次世界大戦では300万人以上もの人命が失われた。
歴史には光と影の両面があるにもかかわらず、日本政府は「明治150年」のスローガンのもと、明治維新以降の日本があたかも栄光だけの歴史だったと礼賛するかのような一大キャンペーンを張ることに強い違和感を覚える。
明治時代というのは一言で言えば、戦争の時代だったわけで、その象徴が日清戦争と日露戦争である。
また、明治時代には日本政府が台湾を植民地支配したり朝鮮を併合しただけでなく、蝦夷を北海道と勝手に名称変更したり沖縄の前身である琉球王国を武力併合している。
時代が明治から大正、そして昭和に変わってからも国民は日本帝国主義国家に翻弄されて第二次世界大戦では300万人以上もの人命が失われた。
歴史には光と影の両面があるにもかかわらず、日本政府は「明治150年」のスローガンのもと、明治維新以降の日本があたかも栄光だけの歴史だったと礼賛するかのような一大キャンペーンを張ることに強い違和感を覚える。
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