沖縄は日本固有の領土ではない [461]
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作成日時:2018/08/30 07:27:28
沖縄はもともと琉球王国が統治していたから日本固有の領土ではない。
投稿メッセージを表示( 461 件中 226 件 〜 235 件目)
日本政府は「尖閣諸島は日本固有の領土」「尖閣諸島に領土問題は存在しない」と主張し、外務省のホームページにもそのように書かれている。
ところが日本政府は「東京は日本固有の領土」「大阪は日本固有の領土」「京都は日本固有の領土」「本州は日本固有の領土」「四国は日本固有の領土」「九州は日本固有の領土」などとは絶対に言わない。
東京や京都、大阪には領土問題が存在しないから、それらの地域を「日本固有の領土」と言わないのなら、「尖閣諸島に領土問題は存在しない」と主張する日本政府が「尖閣諸島は日本固有の領土」と主張するのは明らかに矛盾している。
ところが日本政府は「東京は日本固有の領土」「大阪は日本固有の領土」「京都は日本固有の領土」「本州は日本固有の領土」「四国は日本固有の領土」「九州は日本固有の領土」などとは絶対に言わない。
東京や京都、大阪には領土問題が存在しないから、それらの地域を「日本固有の領土」と言わないのなら、「尖閣諸島に領土問題は存在しない」と主張する日本政府が「尖閣諸島は日本固有の領土」と主張するのは明らかに矛盾している。
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約20万年前にアフリカで誕生した原生人類が日本に渡ったのは約3万8000年前とされている。
日本列島や琉球諸島に渡ってきた人類は大きく分けて以下の3つのルートがある。
1.朝鮮半島から対馬を通り九州へ渡った「対馬ルート」
2.台湾から南西諸島を北上する「沖縄ルート」
3.ユーラシア大陸の北側からサハリンを経由する「北海道ルート」
本土の日本人は朝鮮半島から渡った「対馬ルート」が大半で、南の台湾から南西諸島を北上してきた沖縄人とは明らかに民族が異なる。
日本列島や琉球諸島に渡ってきた人類は大きく分けて以下の3つのルートがある。
1.朝鮮半島から対馬を通り九州へ渡った「対馬ルート」
2.台湾から南西諸島を北上する「沖縄ルート」
3.ユーラシア大陸の北側からサハリンを経由する「北海道ルート」
本土の日本人は朝鮮半島から渡った「対馬ルート」が大半で、南の台湾から南西諸島を北上してきた沖縄人とは明らかに民族が異なる。
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日本政府は「尖閣諸島は日本固有の領土」と主張し、「尖閣諸島は沖縄県に属する」とも主張している。
ところが日本政府は「沖縄は日本固有の領土」とは絶対に言わない。
日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と言えないのは、141年前の1879年3月27日に沖縄の前身である琉球王国を武力的威嚇のもと併合した歴史的事実があるからだ。
併合した地域を「我が国固有の領土」と主張してしまうと、国際社会から笑いものになるから日本政府は誰一人として「沖縄は日本固有の領土」とは言えない。
事実、1910年に日本が朝鮮半島を併合してから1952年にサンフランシスコ講和条約の発効により、朝鮮半島への日本の主権が放棄されるまでの42年間、日本政府は誰一人として「朝鮮半島は日本固有の領土」とは言わなかった。
外務省国際法課に「日本が併合した地域は日本固有の領土と言えるのか?」と質問したことがあるが、対応した国際法課の職員は「併合以前は他国の領土だったわけだから、『日本固有の領土』という言い方はできない」と説明していた。
沖縄は1879年に日本が併合した地域で、それまでは琉球王国が統治していた地域だから、日本政府は未来永劫にわたって「沖縄は日本固有の領土」とは言えないのである。
ところが日本政府は「沖縄は日本固有の領土」とは絶対に言わない。
日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と言えないのは、141年前の1879年3月27日に沖縄の前身である琉球王国を武力的威嚇のもと併合した歴史的事実があるからだ。
併合した地域を「我が国固有の領土」と主張してしまうと、国際社会から笑いものになるから日本政府は誰一人として「沖縄は日本固有の領土」とは言えない。
事実、1910年に日本が朝鮮半島を併合してから1952年にサンフランシスコ講和条約の発効により、朝鮮半島への日本の主権が放棄されるまでの42年間、日本政府は誰一人として「朝鮮半島は日本固有の領土」とは言わなかった。
外務省国際法課に「日本が併合した地域は日本固有の領土と言えるのか?」と質問したことがあるが、対応した国際法課の職員は「併合以前は他国の領土だったわけだから、『日本固有の領土』という言い方はできない」と説明していた。
沖縄は1879年に日本が併合した地域で、それまでは琉球王国が統治していた地域だから、日本政府は未来永劫にわたって「沖縄は日本固有の領土」とは言えないのである。
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琉球王国の誕生=1429年
薩摩の琉球侵攻=1609年
琉球王国は薩摩が侵攻する180年も前から存在していた。
薩摩は琉球王国が存続していた450年間すべてにおいて支配していたわけではなく、少なくとも前半の180年間は薩摩を含め日本のどこからも干渉されずに諸外国と交易を行ってきたという歴史的事実がある。
だからその琉球王国を前身に持つ現在の沖縄は日本固有の領土とは言えない。
事実、日本政府はこれまでただの一度も「沖縄は日本固有の領土」と言ったことがない。
薩摩の琉球侵攻=1609年
琉球王国は薩摩が侵攻する180年も前から存在していた。
薩摩は琉球王国が存続していた450年間すべてにおいて支配していたわけではなく、少なくとも前半の180年間は薩摩を含め日本のどこからも干渉されずに諸外国と交易を行ってきたという歴史的事実がある。
だからその琉球王国を前身に持つ現在の沖縄は日本固有の領土とは言えない。
事実、日本政府はこれまでただの一度も「沖縄は日本固有の領土」と言ったことがない。
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日本政府は1880年代に尖閣諸島を発見し1895年1月14日の閣議決定において尖閣諸島を沖縄県に編入し日本の領土としたと説明しているが、実は、それより数十年も前から尖閣諸島が琉球王国の版図にあったことを示す地図が存在することが分かっている。
その地図とは「渡閩(とびん)航路図」というもので、この「渡閩(とびん)航路図」は琉球王国が清国と交易していた時代に作図されたといわれ、琉球側から清国に向けて出港する際、航海の目印として図の中に尖閣諸島が描かれたのだといわれている。
つまり、日本政府が尖閣諸島を発見する前から琉球王国は尖閣諸島の存在を知っていたことになる。
ちなみに実物の「渡閩(とびん)航路図」現在、沖縄県立博物館に展示されている。
その地図とは「渡閩(とびん)航路図」というもので、この「渡閩(とびん)航路図」は琉球王国が清国と交易していた時代に作図されたといわれ、琉球側から清国に向けて出港する際、航海の目印として図の中に尖閣諸島が描かれたのだといわれている。
つまり、日本政府が尖閣諸島を発見する前から琉球王国は尖閣諸島の存在を知っていたことになる。
ちなみに実物の「渡閩(とびん)航路図」現在、沖縄県立博物館に展示されている。
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琉球王国の誕生=1429年
薩摩の琉球侵攻=1609年
琉球王国は薩摩が侵攻する180年も前から存在していて450年もの間、主権国家として存続していた。
薩摩は琉球王国存続期間のすべてにおいて支配していたわけではなく、少なくとも180年間は日本のどこからも干渉されずに諸外国と交易を行ってきたという歴史的事実がある。
だからその琉球王国を前身に持つ現在の沖縄は日本固有の領土とは言えない。
事実、日本政府はこれまでただの一度も「沖縄は日本固有の領土」と言ったことがない。
薩摩の琉球侵攻=1609年
琉球王国は薩摩が侵攻する180年も前から存在していて450年もの間、主権国家として存続していた。
薩摩は琉球王国存続期間のすべてにおいて支配していたわけではなく、少なくとも180年間は日本のどこからも干渉されずに諸外国と交易を行ってきたという歴史的事実がある。
だからその琉球王国を前身に持つ現在の沖縄は日本固有の領土とは言えない。
事実、日本政府はこれまでただの一度も「沖縄は日本固有の領土」と言ったことがない。
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日本政府は「尖閣諸島は日本固有の領土」と主張し「尖閣諸島は沖縄県に属する」とも主張しているが、なぜか「沖縄は日本固有の領土」とは主張しない。
日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と主張できないのは1879年3月27日に沖縄の前身である琉球王国を武力的威嚇のもと併合した歴史的事実があるからだ。
琉球王国が日本の領土だったなら日本政府が軍隊を動員してその琉球王国を併合するわけがないし併合する必要もない。
琉球王国を前身に持つ沖縄が日本固有の領土でないことは皮肉なことに日本政府自らが証明してしまった。
日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と主張できないのは1879年3月27日に沖縄の前身である琉球王国を武力的威嚇のもと併合した歴史的事実があるからだ。
琉球王国が日本の領土だったなら日本政府が軍隊を動員してその琉球王国を併合するわけがないし併合する必要もない。
琉球王国を前身に持つ沖縄が日本固有の領土でないことは皮肉なことに日本政府自らが証明してしまった。
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沖縄人の多くが自らを日本人と思っていないのは以下の事実が証明している。
1.2013年9月20日付の琉球新報に「ヤマトンチュ(日本人)」と書かれているが、琉球新報に読者からのクレームは一切なかった
2.2013年4月25日に琉球新報ホールで行われた「フォーラム4・28 沖縄から主権を問う」で佐藤優氏が「私の父親は日本人で、母親は沖縄人」と発言したが特に異論はなかった
3.「還」(藤原書店)という雑誌で沖縄タイムス元社長の新川明氏が「ヤマトンチュ(日本人)」と書いているが沖縄から苦情などはなかった
4.2013年4月28日に名護市の稲嶺市長が沖縄タイムスの取材に対し「『がってぃんならん』という気持ちは日本語では説明しにくい」というコメントを出している
5. 2015年11月11日付の沖縄タイムスに「日本人(ヤマトンチュ)」と書かれているが、読者からクレームは一切なかった
1.2013年9月20日付の琉球新報に「ヤマトンチュ(日本人)」と書かれているが、琉球新報に読者からのクレームは一切なかった
2.2013年4月25日に琉球新報ホールで行われた「フォーラム4・28 沖縄から主権を問う」で佐藤優氏が「私の父親は日本人で、母親は沖縄人」と発言したが特に異論はなかった
3.「還」(藤原書店)という雑誌で沖縄タイムス元社長の新川明氏が「ヤマトンチュ(日本人)」と書いているが沖縄から苦情などはなかった
4.2013年4月28日に名護市の稲嶺市長が沖縄タイムスの取材に対し「『がってぃんならん』という気持ちは日本語では説明しにくい」というコメントを出している
5. 2015年11月11日付の沖縄タイムスに「日本人(ヤマトンチュ)」と書かれているが、読者からクレームは一切なかった
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伊藤博文、大隈重信、大久保利通ら幕末から明治維新にかけての日本の政治家は「琉球人は日本人ではない」と言っておきながら、1871年に宮古島の島民が乗った漁船が台湾に漂着して台湾の先住民族である蛮族に54人が殺害された事件の報復措置として1874年に台湾出兵を決行している。
そのときの明治政府の主張は「琉球人は日本人」。
明治政府が琉球人を日本人と主張して台湾出兵を決行したのは、当時、日本の領土ではなかった琉球を奪い、領土を拡大するという国家としての野望があったからで、そのため琉球の人々を「日本人」としなければ台湾への報復措置、すなわち台湾出兵の名目が立たなかったのである。
日本の明治政府は政治的な理由で、あるいは都合が良いときだけ「琉球人は日本人」と言って外国に対して嘘をついていた。
そのときの明治政府の主張は「琉球人は日本人」。
明治政府が琉球人を日本人と主張して台湾出兵を決行したのは、当時、日本の領土ではなかった琉球を奪い、領土を拡大するという国家としての野望があったからで、そのため琉球の人々を「日本人」としなければ台湾への報復措置、すなわち台湾出兵の名目が立たなかったのである。
日本の明治政府は政治的な理由で、あるいは都合が良いときだけ「琉球人は日本人」と言って外国に対して嘘をついていた。
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我々沖縄人にとって日本語は沖縄固有の言語ではない。
なぜなら沖縄の前身にである琉球王国の時代には日本語を話す人はいなかったから。
ちなみに「松山御殿(まちやまうどぅん)物語」という本の中に琉球王国最後の国王だった尚泰王の四男で尚順という人が書いた日記が紹介されているが、その本の中に「ヤマト(日本)の役人が話す日本語はさっぱり意味がわからない」という箇所がある。
なぜなら沖縄の前身にである琉球王国の時代には日本語を話す人はいなかったから。
ちなみに「松山御殿(まちやまうどぅん)物語」という本の中に琉球王国最後の国王だった尚泰王の四男で尚順という人が書いた日記が紹介されているが、その本の中に「ヤマト(日本)の役人が話す日本語はさっぱり意味がわからない」という箇所がある。
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