1169
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投稿者:匿名 [162.158.6.64]
投稿日時:2017/11/30 08:33:56
山川は3倍ぐらいほしいな。来年の今頃は大台を目指してほしい!
1168
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投稿者:匿名 [108.162.226.143]
投稿日時:2017/11/30 07:34:16
メディアとかの予測では、東浜8000から9000万、山川3000から4000万となってますね。
1163
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投稿者:匿名 [172.68.133.126]
投稿日時:2017/11/29 10:25:13
1155だけど、サインボールを見比べると東浜が一番字が上手。
沖尚の比嘉監督や興南で主将を務めた我如古も字は上手いほうだと思う。
あと自分が持ってる直筆サインボールは、王貞治、長島茂雄、金田正一、赤嶺賢勇。
色紙にサインを書いてもらったのは、元巨人の定岡正二、赤嶺賢勇、淡口憲治、興南出身で元阪神の仲田幸司、興南出身で元大洋の前泊哲明。
1978年の日米野球大会で来日したシンシナティ・レッズのスパーキー・アンダーソン監督、ピート・ローズ。
他に1980年夏の甲子園でベスト8入りした興南の島袋常雄部長、比屋根吉信監督、ベンチ入りメンバー15人全員の名前が書かれているサイン色紙(5枚)など。
1162
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投稿者:匿名 [108.162.226.143]
投稿日時:2017/11/29 07:44:11
1155さん 自分も彼らが東都の時にもらったけど、サインが学生時だから、漢字で普通に東浜巨て書いてるだけで、なんかもうひとつもらった実感がない(苦笑) 島袋は、同じ漢字だけど、まだ崩した漢字だからいいんだけど。考えたら、当時の亜細亜大学て、東浜、高田、嶺井、山崎、九里らそうそうたるメンバーだったよな。そういえば、東浜と同級生の西銘からももらったけど、彼、今、何してるのかな。この10
年の沖縄野球の中でも指折りの打者だった。1152
より。
1157
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投稿者:匿名 [162.158.59.28]
投稿日時:2017/11/28 16:47:59
3年前のドラフトでロッテから2位で指名され、今シーズン終了後に自由契約となった京大初のプロ野球選手の田中が総合大手商社の三井物産に就職することが決まった。
既卒なのに三井物産という超一流企業に就職できるとはすごい。
さすが京大卒。
1156
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投稿者:匿名 [172.68.253.119]
投稿日時:2017/11/28 16:42:11
ドラゴンズ又吉、来季は先発要員になることが決まったようですね。
首脳陣たちの気まぐれでまた中継ぎに回る可能性もありますが、、、
先発に持ってくると中継ぎがボロボロ
中継ぎに持ってくると先発陣がボロボロ
又吉はドラゴンズに必要不可欠な存在にまで成長しましたね。
1155
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投稿者:匿名 [162.158.59.28]
投稿日時:2017/11/28 16:39:28
>>1152
俺は東浜が亜大にいた頃、ボールにサインを書いてもらった。
他には同じ亜大にいた嶺井、中央大にいた島袋、立教大にいた我如古、大城にもサインをもらった。
あと、神宮大会に沖縄尚学が出場したとき、比嘉監督にもボールにサインを書いてもらった。
1154
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投稿者:匿名 [172.68.253.119]
投稿日時:2017/11/28 15:48:40
宮國今季7回1失点で負け投手になったのが2回か3回あって援護があればもっと勝てたと思うのにな。。。
2軍では無双なレベルなので西武に人的補償で行っても面白いと思う。
1152
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投稿者:匿名 [108.162.226.125]
投稿日時:2017/11/28 14:40:45
SoftBank公式サイトにて、東浜最多勝直筆のサイン記念ボールが売ってる。ケースに入ってて、無茶苦茶に欲しいけど、2万近くするから買えない。5千円くらいなら買えるのに。昨年くらいから、東浜のグッズがたくさん出てきてるので嬉しい。
1151
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投稿者:匿名 [172.68.133.126]
投稿日時:2017/11/28 10:26:24
ライオンズには昔、石川高校のエースとして1975年夏の甲子園に出場した糸数勝彦という右投げ本格派の投手がいた。
当時はクラウンライター・ライオンズという球団名で現在の西武ライオンズの前身にあたる。
糸数投手は1975年のドラフトでライオンズから2位で指名されてプロ入り。
その後、1983年のドラフトでは同じくライオンズから5位で指名された仲田秀司もいた。
仲田は1980年代前半の興南黄金時代に甲子園に3度出場した強肩強打の4番打者で、ライオンズの当時の監督、広岡達郎氏が甲子園のテレビ中継を見て仲田を「攻撃的なキャッチャー」と評していたともいわれている。
その後、ライオンズには宜野湾高校から入団した親富祖弘也という強肩強打の大型捕手も在籍していた。
親富祖はプロ引退後、沖縄に帰り、浦添の中学硬式野球チームの監督に就任するなど後進の指導にあたっている。