前提として、私は沖縄でなくても良い基地が多いと感じています。
その上でも言える事ですが、沖縄の人も含め日本人は基地問題(国防問題)についてあまりにも知らなさすぎるので書きます。
国防は事前に侵略を予想して必要な準備をする事です。
元寇の時に防塁を築いたのも同じ事です。
たとえば民間の家や土地でも陸上戦で相手の進軍ルートにあれば、一時的に提供する必要があります。
これは外国人の所有物でも可能にする法整備をせねばなりません。
基地や防衛施設は仮想敵、戦術などが時代と共に変われば見直されるものです。
増える場所もあれば減る場所もあるのです。
現在、北海道には米軍基地はありません。これはロシア?が上陸作戦を企てる時には必要になります。
1945の沖縄戦の時に飛行場を作りやすい平地のある読谷や港、首里城などが必要だったのは当たり前なのです。
国防は民意など関係ありません。国民であるならば義務です。
国家はたとえ外人の所有物でも強制的に収容できるようにしなければ相手国に先手を取られます。
たとえば韓国から米軍基地が無くなれば対馬には防衛施設を大幅に増やさねばなりません。
沖縄の人も対馬の人も日本人であるならば、必要に応じて新たな協力する場合もあるのです。
沖縄にある基地には二つの性格があります。
①単純な日本の国防のものと、②日米安保のうち日本に関係ない米軍展開に必要なものです。
たとえば、以前あった核ミサイルは②の性格が強いです。
①ならば自衛隊基地のみで済みます。
②の性格のものを無くしたいなら日米安保を破棄する必要があります。
日米安保には、【日本は国内へのアメリカ軍駐留の権利を与える。駐留アメリカ軍は、極東アジアの安全に寄与するほか、直接の武力侵攻や外国からの教唆などによる日本国内の内乱などに対しても援助を与えることができる。】とあるからです。
沖縄にある米軍基地が適切か?辺野古は必要か?は【極東アジアの安全に寄与する】の範囲に絞られてきます。
日本国が必要と認めるなら、日本人として従う他ありません。
辺野古移設は民意で止める性格のものではないのです。
これは沖縄だけでなく日本人全ての民意でも止められません。
沖縄から米軍基地を無くしたいのなら日米安保を無くさねばなりません。
それか、沖縄が独立するかです。
県民の民意を国際社会は問うても仕方がないのです。
沖縄に利害の無い国やその国民なら、【国防に協力するのは国民の義務】と考えるのが一般的でしょう。
島根だろうが北海道だろうが、日本であるならば国防上は政府に従う。
これが当たり前の論理です。いやならば独立しかないのです。
基地が多すぎると私も思っています。
ただ、知事のやってる事は問題の解決にならないのですね。