那覇商業VS浦添商業 [20]
みなさん、97年の夏の沖縄県予選準々決勝・那覇商VS浦商を覚えているでしょうか?壮絶な打撃戦でした。浦商のエース・上間 豊に立ち向かう那覇商打線と、その年の選抜に出場した王者・浦商の意地がぶつかり合った好ゲームでした!常に先手先手でリードする浦商に対して、那覇商は1点づつ着実に返していきホントに互角な試合でした。浦商・上間投手は速球とスライダーを武器に三振が取れるピッチャー。対する那覇商の2年生エース・新垣は速球、カーブ、スライダーで打たせて取るタイプ。しかし、この試合は両チームの打線が爆発!浦商は3番下地康・4番新垣・5番渋谷を中心に切れ目ない打線が持ち味。対する那覇商は1番兼元が特攻隊、4番仲松・5番高志保とパワフルな打撃が持ち味だった。終盤那覇商が兼元のタイムリーで逆転、続く照屋もタイムリーで7対5と浦商を突き放した時は、私はテレビの前で那覇商の勝利を確信した。しかし高校生って凄いですね。次の回、浦商・下地康がレフトへ逆転3ラン!結局9対7で浦商が勝ったけど、那覇商のみなさんの頑張りに心から感動した。そして浦商の「あと3つアウトで負ける」という最終回での逆転は本当に見事!私は当時那覇商の4番・仲松に注目していたので、ばっちりビデオに録画していて今でもよく見ています。その仲松は三菱重工長崎に行ったのはわかるけどその後がわからない。浦商・上間も気になります。専修大卒業後の事はわからない。この試合、準々決勝だったからあまりわからない方が多いかもしれませんが、もし決勝戦だったら語り継がれていたと思う。最後に・・・その年の県代表はこの試合を制した浦商。その浦商が甲子園でベスト4まで進んだのは記憶に新しい・・みなさんもこの試合について知っているならいろいろ投稿して下さいね。
沖縄県人の方、1996年の沖縄大会決勝戦の前原×沖縄水産のビデオをお持ちの方連絡ください。
スポンサーリンク
スポンサーリンク
Googleで、1997年夏の甲子園大会・準決勝を戦った浦添商業と上間豊投手の事を検索していて、こちらの掲示板に辿り着きました。
ちなみに、私は沖縄県の在住ではなく、広島県に住んでいる者です(年齢は、1977年の豊見城のエース・下地投手と同い年・同学年になります)。
1997年夏の甲子園・準決勝の浦添商業VS智弁和歌山以前に、こちらで述べられているような経緯があった事は今回初めて知りました。
こちらのトピックの内容から外れてしまいますが、9年前の浦添商業VS智弁和歌山を観た時の個人的な感想を少しばかり述べさせていただきます(いきなりで申し訳ございませんけど、何卒、ご容赦のほどを)。
もう9年も前になるので、私の中では大なり小なり記憶が薄らいでいますけど、ただ、夏の甲子園の準決勝で、浦添商業が智弁和歌山と行き詰まるほどの白熱した好勝負をした事だけは、今でもはっきりと憶えています。
多分、途中からではなかったのか?と思いますが、あの試合をたまたまテレビで観ていたその時の私は、本当に久しぶりで興奮し、あれぞ、まさしく手に汗握るとでも言うのでしょうか。
試合終盤まで、両チームともあと一歩というところまで行きながら、お互いに得点を許さず、必死で守り切る好勝負だった記憶があります。
あの試合で、私自身の中で特に強く印象に残っているのは、智弁が何人かの投手で乗り切ったのに対して、浦添の方は上間投手が一人で最後まで投げ抜いた姿でしたね(ちなみに、あの試合で投げていた投手の名前が上間豊である事は、最近、Googleで検索して知った私なのです)。
上間投手は、元巨人の槙原寛己投手と元阪神の和田豊選手にちょっと顔立ちが似ていたと記憶しているのですけど(違っていますかね?)、テレビ画面に映し出されたあの時の上間投手の姿には、悲壮感さえ漂っているように私には思えました。
おかしな事を言うようですが、あの試合で浦添の守りの際に聞こえていた、対戦相手の智弁の応援曲として使用されていたバリー・マニロウの「コパカバーナ」が(憶えていらっしゃるでしょうか?)、私には智弁の為ではなく、却って浦添の上間投手の存在を引き立てているかのような気がしていたのです。
智弁の応援曲の「コパカバーナ」と共に、テレビ画面に映し出されていた上間投手の姿がすごく印象に残っていて、それ以降、私は「コパカバーナ」を聴くと、あの時の試合と必死で力投していた上間投手の事を連想してしまうのです。
私の個人的な感想ですけど。
浦添は上間投手の力投が実らず、敗れたものの、しかし、あの時、私には勝った智弁よりも、むしろ敗れた浦添の方が輝いて見えていたとでも言うのでしょうか。
特に、最後まで一人で投げ抜いた上間投手の姿には、大いに感動しました。
とにかく、あの試合と上間投手の力投は、今でも私の中で強く印象に残っています。
上間投手は、その後、専修大学へ進学したそうで、現在はどうしているのかわからないようですが(専修大学卒業後、同大学OBがいる静岡県のクラブチームへ行ったという話も)、元気にしている事を願っています。
こちらのトピックの内容から外れてしまった、取るに足らない個人的な感想を述べさせていただきまして、すいませんでした。
それでは、これで失礼させていただきます。
スポンサーリンク
前から那覇商VS浦商のそのビデオ探していました。
ダビングでいいので、譲ってもらえないでしょうか??
てるサンッて高校生ですか?
自分は浦添商業の野球部出身なんでとても見たいんです。
僕も全く同感です。
異論の方もいるでしょうが、僕は二年連続準優勝の沖縄水産を除けば、97年の浦添商業が
沖縄県史上最強のチームだったと思っています。なぜなら、浦添商業は精神的に苦しい試合を
ギリギリのところで制する力を持っていたからです。
97年夏・準々決勝
浦添商業100201014 9
那覇商業001011130 7
(浦)上間、渡久山、上間 (本塁打)下地康
イニングスコアだけを見ても、いかにこの試合が壮絶な死闘だったのかが分かり
ます。この試合については掲示板で何度か触れられているので、ここでは割愛し、
代わりに、他の二つの試合について紹介しようと思います。
春季九州大会
(ダブルヘッダー)
準決勝
日南学園0101000021000 5
浦添商業2001000101001× 6
(浦)上間(完投)
決勝
浦添商業000030110 5
長崎日大02041000× 7
※上間投手は登板せず
上記の二試合は、那覇商業との死闘から遡ること三ヶ月前、春季関東大会
の準決勝、決勝の二試合です。ちなみに、この試合はダブルヘッダーです。
準決勝で対戦した日南学園は、前年の秋季大会でも対戦し、この時は浦添
商業は5−7で敗れています。そんな強敵を相手に、浦添商業は序盤からペ
ースを握り、4−2でリードしたまま最終回を迎えます。ところが九回表、
浦添商業は失策がらみで二点を失い、試合は振り出しに。さらに十回表、つい
に4−5と逆転を許してしまいます。
並のチームなら、おそらくそこで終わっていたでしょう。ところが、浦添商業
の底力はここから発揮されます。十回裏、粘りで同点に追いつき、十三回裏、上間
(?)のタイムリーで6−5と死闘を制して決勝へ駒を進めます。
こうして決勝へ進出した浦添商業ですが、おそらく選手はだいぶ疲労がたまってい
たのでしょう。ダブルヘッダーの二試合目となった長崎日大との試合は、序盤から投手陣
がつかまり、四回を終わって0−6と大差をつけられてしまいます。しかし、五回表に三点
を返し反撃すると、七回に一点、八回にも一点を追加。結局5−7で敗れはするのですが、
十分に存在感を発揮して大会を後にします。
こうして見ると、浦添商業は相手にペースを握られ苦しい展開となっても、そこから持ち直し
て反撃する底力を持っていたことが分かります。こんなチームだったからこそ、那覇商業との死闘
を制し、甲子園でベスト4に進み、準決勝で智弁和歌山との熱戦を演じることができたのではない
でしょうか。
那覇商業との試合もそうですが、この春季大会での二試合も、浦添商業を甲子園でベスト4へ導く
原動力となった試合として紹介したいと思います。
それにしても、翌年に新垣を擁して甲子園に進出した沖縄水産は、なぜ甲子園で一勝もできなかった
のでしょうか。過去の記録を見ると、当時の沖水は秋季大会、夏の県大会と圧倒的な試合内容で勝利して
いました。だから、エース新垣の不調だけが原因とは思えません。もしかしたら、97年の浦添商業ほど、
苦戦を制した経験がなかったからなのでしょうか。意見がおありの方がいれば、お聞かせ願いたいと思い
ます。ただ、この掲示板が時折荒らされているのを見受けますので、誹謗、中傷はご遠慮いただきたく存じ
ます。
前のページを表示 | 次の 1 件を表示 |