選手権沖縄大会 2010 [606]
作成日時:2010/06/18 18:23:49
第92回全国高校野球選手権大会沖縄大会 2010
選手権関連は昔のも含めて色々なトピックがあるので、
2010年の選手権で使うトピックを立ててみました。
@北谷球場
投稿メッセージを表示( 606 件中 441 件 〜 450 件目)
甲子園で ハイサイおじさん 披露したのはいつ頃からですか?
県外から この曲しかないの? って思われそう
県外から この曲しかないの? って思われそう
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甲子園の高校野球の試合では沖繩代表の応援歌として「ハイサイおじさん」がすっかり定着していますが、この「ハイサイおじさん」が初めて甲子園で演奏されたのは1988年夏に甲子園に出場した沖縄水産が最初です。
沖縄水産と富山商の試合で7番打者の唐真勝吉選手(亜細亜大→いすゞ自動車)が打席に立ったときに初めてアルプススタンドから「ハイサイおじさん」のメロディーが流れてきました。
1987年までは甲子園で「ハイサイおじさん」は演奏されていませんでした。
ちなみに、1988年夏に甲子園に出場した沖繩水産は平良幸一投手(沖縄電力←西武)や伊礼忠彦外野手(九州共立大→中日)らを擁し、沖縄県勢として20年ぶりにベスト4まで勝ち上がりました。
沖縄水産と富山商の試合で7番打者の唐真勝吉選手(亜細亜大→いすゞ自動車)が打席に立ったときに初めてアルプススタンドから「ハイサイおじさん」のメロディーが流れてきました。
1987年までは甲子園で「ハイサイおじさん」は演奏されていませんでした。
ちなみに、1988年夏に甲子園に出場した沖繩水産は平良幸一投手(沖縄電力←西武)や伊礼忠彦外野手(九州共立大→中日)らを擁し、沖縄県勢として20年ぶりにベスト4まで勝ち上がりました。
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神谷投手の時代ですか
あのレフトが スーパーキャッチで試合終了、沖水が準優勝 どんな気持ちでしたか?
あのレフトが スーパーキャッチで試合終了、沖水が準優勝 どんな気持ちでしたか?
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ワンアウト1・3塁からの送りバントは
ありえないだろ!
ありえないだろ!
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川満君だと思う!
何言ってんだ? と思うかもしれないが、
今まで使わなかった事が不思議! 調子が悪いとは思えない
絶対 隠し玉として糸満の裏をかく野球をする
調子が悪いなら、登録されなかったはずだ
何言ってんだ? と思うかもしれないが、
今まで使わなかった事が不思議! 調子が悪いとは思えない
絶対 隠し玉として糸満の裏をかく野球をする
調子が悪いなら、登録されなかったはずだ
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興南6‐1糸満
糸満の先発は宮國くん、興南の先発は島袋くん。
宮國くんが三回戦の八商工戦で記録した147キロは、九回に出てきて全力投球したもの(普段の直球は140キロ前後)
興南打線を5点以内に抑えるのは困難。チーム打率が低い糸満打線が島袋くんから得点するのは難しい。
糸満は内野守備も心配の種。
お互いにチーム力を発揮すれば6‐1で興南が勝つでしょう
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な、懐かしい!
平良投手を擁し、沖水がベスト4に進出したの覚えていますよ〜!
私が甲子園をテレビで見るようになって初の準決勝進出でしたから、かなり興奮したのを覚えております。
平良投手、伊礼、唐真選手、良い選手でしたよね〜!
平良投手を擁し、沖水がベスト4に進出したの覚えていますよ〜!
私が甲子園をテレビで見るようになって初の準決勝進出でしたから、かなり興奮したのを覚えております。
平良投手、伊礼、唐真選手、良い選手でしたよね〜!
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今年の糸満って、糸数と玉寄がいた頃の中部商業と似てるよね
凄い選手がそろってるのに、全国レベルの相手には勝てない
凄い選手がそろってるのに、全国レベルの相手には勝てない
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凄い行列だぁ〜
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今年の興南の試合を見ていると、興南の初代監督・高良徳栄氏がモットーとして掲げた「魂知和(こんちわ)野球」の精神を感じることがあります。
1968年夏、興南が沖縄県勢として初めて甲子園でベスト4まで勝ち進んだときも「魂知和」という言葉が盛んに言われていたそうです。
1977年になると、社会人野球で活躍した比屋根吉信氏(報徳学園→大阪体育大)が興南の監督に就任。
比屋根監督時代は春夏合わせ6回、甲子園に出場しました。
比屋根監督がよく口にしていたのは「積小致大」。
「小さなことの積み重ねが大きなものをつくり出す」という意味で、比屋根監督の好きな言葉として、この「積小致大」がよく使われていました。
比屋根監督の後を受けた真栄田聡監督(現部長)、そして神谷健監督、内間邦彦監督と続き、2006年4月に、あの1968年の「興南旋風」で主将を務めた我喜屋優氏が北海道から帰郷し母校の監督に就任。
我喜屋監督が高校生だったころの「魂知和野球」を再びチームに植えつけた感があります。
このチームがどこまで勝ち進むかは分かりませんが、現チームは「魂知和野球」の集大成と言ってもいいのではないでしょうか。
1968年夏、興南が沖縄県勢として初めて甲子園でベスト4まで勝ち進んだときも「魂知和」という言葉が盛んに言われていたそうです。
1977年になると、社会人野球で活躍した比屋根吉信氏(報徳学園→大阪体育大)が興南の監督に就任。
比屋根監督時代は春夏合わせ6回、甲子園に出場しました。
比屋根監督がよく口にしていたのは「積小致大」。
「小さなことの積み重ねが大きなものをつくり出す」という意味で、比屋根監督の好きな言葉として、この「積小致大」がよく使われていました。
比屋根監督の後を受けた真栄田聡監督(現部長)、そして神谷健監督、内間邦彦監督と続き、2006年4月に、あの1968年の「興南旋風」で主将を務めた我喜屋優氏が北海道から帰郷し母校の監督に就任。
我喜屋監督が高校生だったころの「魂知和野球」を再びチームに植えつけた感があります。
このチームがどこまで勝ち進むかは分かりませんが、現チームは「魂知和野球」の集大成と言ってもいいのではないでしょうか。
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