夏の甲子園 県予選のベスト4は?そして優勝は? [7061]
作成者:マリン
作成日時:2005/04/11 15:15:15
さて、夏の大会まであとわずか。
秋季大会、春季大会終えて、
あとはいよいよ夏季大会。
夏の甲子園、今年の県代表校は?
投稿メッセージを表示( 7061 件中 971 件 〜 980 件目)
真和志高校
強いです。
嘉手納高校に
2−1で 勝利。
嘉手納は 池原−真謝のバッテリー。
しかも嘉手納高校のグランドで。
南風原高校にも
4−1で勝利。
これは夏の大会
真和志旋風の予感がします。
昨年のコザ高校みたいな
旋風があるかもしれません
真和志高校に注目です。
強いです。
嘉手納高校に
2−1で 勝利。
嘉手納は 池原−真謝のバッテリー。
しかも嘉手納高校のグランドで。
南風原高校にも
4−1で勝利。
これは夏の大会
真和志旋風の予感がします。
昨年のコザ高校みたいな
旋風があるかもしれません
真和志高校に注目です。
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とても良いコメントで素晴らしいと思います。通産が2勝15敗とありますが、昭和37年の沖縄高校、昭和41年の興南高校、昭和47年の名護高校が夏の甲子園に出場してる事から3勝ではないでしょうか? 話の腰を折ってすみません。
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沖縄水産が不気味な存在ですね
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ご指摘ありがとうございました。
1097さんの言われる通り、1966年(昭和41年)の興南も実力で甲子園に出場していますね。
この年の夏、沖縄大会で優勝した興南は南九州大会(二次予選)で宮崎大宮を7-5で破っています。
したがって東九州大会、南九州大会における沖縄県勢の通算成績は3勝15敗となりますので、訂正させていただきます。
沖縄県勢がまだ弱かったこの時代に、宮崎代表との甲子園出場をかけた南九州大会を突破して実力で甲子園出場を果たしたのは1962年(昭和37年)の沖縄高校、1966年(昭和41年)の興南高校、1972年(昭和47年)の名護高校の3校です。
ついでに、この1966年(昭和41年)夏の沖縄大会準々決勝、準決勝、決勝のスコアをご紹介します。
<準々決勝>
興南 10 - 2 那覇商
小禄 4 - 1 沖縄
首里 8 - 1 那覇
糸満 2 - 0 コザ
<準決勝>
首里 0 2 1 0 0 0 1 0 0 4
小禄 5 0 1 0 0 0 0 0 X 6
興南 0 0 0 4 0 0 5 9
糸満 0 1 1 0 0 0 0 2
<決勝>
興南 5 0 0 0 1 0 0 0 0 6
小禄 1 0 0 3 0 0 0 0 0 4
1097さんの言われる通り、1966年(昭和41年)の興南も実力で甲子園に出場していますね。
この年の夏、沖縄大会で優勝した興南は南九州大会(二次予選)で宮崎大宮を7-5で破っています。
したがって東九州大会、南九州大会における沖縄県勢の通算成績は3勝15敗となりますので、訂正させていただきます。
沖縄県勢がまだ弱かったこの時代に、宮崎代表との甲子園出場をかけた南九州大会を突破して実力で甲子園出場を果たしたのは1962年(昭和37年)の沖縄高校、1966年(昭和41年)の興南高校、1972年(昭和47年)の名護高校の3校です。
ついでに、この1966年(昭和41年)夏の沖縄大会準々決勝、準決勝、決勝のスコアをご紹介します。
<準々決勝>
興南 10 - 2 那覇商
小禄 4 - 1 沖縄
首里 8 - 1 那覇
糸満 2 - 0 コザ
<準決勝>
首里 0 2 1 0 0 0 1 0 0 4
小禄 5 0 1 0 0 0 0 0 X 6
興南 0 0 0 4 0 0 5 9
糸満 0 1 1 0 0 0 0 2
<決勝>
興南 5 0 0 0 1 0 0 0 0 6
小禄 1 0 0 3 0 0 0 0 0 4
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下の方、
しようもない昔話を、
長すぎないか、もす少し簡潔に書けないか?
全く読む気なし!
しようもない昔話を、
長すぎないか、もす少し簡潔に書けないか?
全く読む気なし!
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夏全国制覇してくれればどーでもいー。興南がいーけど
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訂正どころか、多くの事教えてもらってありがうごさいます。嬉しいです。
確か、名護高校の平安山主将はその年の春夏連続選手宣誓だったのでは? 良かったら教えて下さい。
確か、名護高校の平安山主将はその年の春夏連続選手宣誓だったのでは? 良かったら教えて下さい。
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名護の平安山良克主将が甲子園で選手宣誓をしたのは1972年(昭和47年)の夏の大会だけです。
1972年(昭和47年)春の選抜では1回戦で松江商(島根)の2年生左腕の中林投手の前にわずか3安打に抑えられ、3-1で敗れました。
翌年に同じく春夏連続甲子園に出場した前原もそうですが、バッティングマシンが全国的に普及し始める前の1970年代前半までのチームは打力に大きな課題がありました。
これは沖縄のチームに限った話ではなく、当時の甲子園大会のスコアを見ると、今の時代と違って3点以内のロースコアの試合が非常に多いことに気づきます。
つまり、好投手と当たれば完封されるか1点ないし2点しか取れないという試合が多かったですね。
1968年(昭和43年)に甲子園ベスト4を果たした興南は別ですが、沖縄のチームが打力もつけてきたなという印象を持ったのは1975年春に甲子園に出た豊見城あたりからです。
話は名護に戻りますが、名護が甲子園に出た年は沖縄が本土に復帰したということで、それを記念して沖縄で優勝すれば無条件で甲子園に出場できると思ったのですが、節目に当たる記念大会ではなかったために、やはり南九州予選(二次予選)で勝たなければ甲子園には行けませんでした。
本土復帰の年に宮崎代表を下して実力で甲子園に行けたことはとてもよかったと思います。
また、1960年代の沖縄県勢はチームの平均身長も166センチ前後と小柄な選手が多かったようですが、この年の名護は170センチ前後あったのではないでしょうか。
首里が沖縄県勢として初めて甲子園に行ったときの平均身長は162センチだったといわれ、ベンチ入りメンバーで170センチを超えていたのは一人だけだったそうです。
ちなみに、沖縄の選手が甲子園で選手宣誓をしたのは1958年(昭和33年)の仲宗根弘主将(首里)、1960年(昭和35年)の牧志清順主将(那覇)、1972年(昭和47年)の平安山良克主将の3人です。
1972年(昭和47年)春の選抜では1回戦で松江商(島根)の2年生左腕の中林投手の前にわずか3安打に抑えられ、3-1で敗れました。
翌年に同じく春夏連続甲子園に出場した前原もそうですが、バッティングマシンが全国的に普及し始める前の1970年代前半までのチームは打力に大きな課題がありました。
これは沖縄のチームに限った話ではなく、当時の甲子園大会のスコアを見ると、今の時代と違って3点以内のロースコアの試合が非常に多いことに気づきます。
つまり、好投手と当たれば完封されるか1点ないし2点しか取れないという試合が多かったですね。
1968年(昭和43年)に甲子園ベスト4を果たした興南は別ですが、沖縄のチームが打力もつけてきたなという印象を持ったのは1975年春に甲子園に出た豊見城あたりからです。
話は名護に戻りますが、名護が甲子園に出た年は沖縄が本土に復帰したということで、それを記念して沖縄で優勝すれば無条件で甲子園に出場できると思ったのですが、節目に当たる記念大会ではなかったために、やはり南九州予選(二次予選)で勝たなければ甲子園には行けませんでした。
本土復帰の年に宮崎代表を下して実力で甲子園に行けたことはとてもよかったと思います。
また、1960年代の沖縄県勢はチームの平均身長も166センチ前後と小柄な選手が多かったようですが、この年の名護は170センチ前後あったのではないでしょうか。
首里が沖縄県勢として初めて甲子園に行ったときの平均身長は162センチだったといわれ、ベンチ入りメンバーで170センチを超えていたのは一人だけだったそうです。
ちなみに、沖縄の選手が甲子園で選手宣誓をしたのは1958年(昭和33年)の仲宗根弘主将(首里)、1960年(昭和35年)の牧志清順主将(那覇)、1972年(昭和47年)の平安山良克主将の3人です。
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抽選の結果 下のブロックがどう勝ち上がってくる
特にBブロック西原対糸満 Dブロック 興南対美里戦
が見たい
どうころぶか
Aブロック 小禄 沖水
Bブロック 糸満 西原
Cブロック 嘉手納 浦商
Dブロック 興南 美里
強打力NO:1西原中軸と浦商中軸がどう勝ち進むか
注目
特にBブロック西原対糸満 Dブロック 興南対美里戦
が見たい
どうころぶか
Aブロック 小禄 沖水
Bブロック 糸満 西原
Cブロック 嘉手納 浦商
Dブロック 興南 美里
強打力NO:1西原中軸と浦商中軸がどう勝ち進むか
注目
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興南の4季連続の甲子園になるかな。
準決勝で浦添商業と当たるなら
浦添商業が勝つ気がします。
準決勝で浦添商業と当たるなら
浦添商業が勝つ気がします。
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