夏の甲子園 県予選のベスト4は?そして優勝は? [7061]
作成者:マリン
作成日時:2005/04/11 15:15:15
さて、夏の大会まであとわずか。
秋季大会、春季大会終えて、
あとはいよいよ夏季大会。
夏の甲子園、今年の県代表校は?
投稿メッセージを表示( 7061 件中 956 件 〜 970 件目)
>ふぁぶさん
今年の夏の甲子園大会のキャッチフレーズは
「夏の夢、今、走りだす」です!お役に立てたでしょうか?
今年の夏の甲子園大会のキャッチフレーズは
「夏の夢、今、走りだす」です!お役に立てたでしょうか?
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ありがとうございました!!!
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みさとぅ〜は??
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招待試合を見る限り、興南は総合力で数枚抜けている。
あとは組み合わせによるが、小禄、糸満が続く展開になると思う。
あとは組み合わせによるが、小禄、糸満が続く展開になると思う。
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今年夏の決勝は
浦添商業VS興南が
見たいな。
浦添商業としてはリベンジを果たさないとね!
2007年の決勝再試合の敵打ちも!!
浦添商業VS興南が
見たいな。
浦添商業としてはリベンジを果たさないとね!
2007年の決勝再試合の敵打ちも!!
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すみません。教えて下さい。夏の沖縄大会のベンチ入りメンバーはいつ頃新聞に掲載されますか?気になってます。
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あれだけ一年から投げてりゃだいぶデータは集まるし研究されているだろう。
特に浦商・沖尚などのチームはよく偵察してるしね。ここが弱点だと掴んでる部分はあるでしょう。
でも分かったからといってそこを突けるのかと言うのと勝てるのかは別問題。
いずれにせよ簡単に点は取れないし、取れたとしてそれ以下に興南打線を抑えるのも簡単じゃない。
もし島袋投手が右打者から逃げるような球種を身に付けてたら県内じゃ攻略できないだろうな。
とりあえず、今年の夏は例年以上に有力校が多く当たり年。去年から主力の選手も多くモチベーションも高い。
一発勝負である以上どこだろうが興南に勝てる可能性はある。
各校どういう包囲網敷いてくるか楽しみではある。
ただ、今のとこ興南がかなり抜けてる。
特に浦商・沖尚などのチームはよく偵察してるしね。ここが弱点だと掴んでる部分はあるでしょう。
でも分かったからといってそこを突けるのかと言うのと勝てるのかは別問題。
いずれにせよ簡単に点は取れないし、取れたとしてそれ以下に興南打線を抑えるのも簡単じゃない。
もし島袋投手が右打者から逃げるような球種を身に付けてたら県内じゃ攻略できないだろうな。
とりあえず、今年の夏は例年以上に有力校が多く当たり年。去年から主力の選手も多くモチベーションも高い。
一発勝負である以上どこだろうが興南に勝てる可能性はある。
各校どういう包囲網敷いてくるか楽しみではある。
ただ、今のとこ興南がかなり抜けてる。
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登録メンバーが新聞に載るのは例年ですと開幕日の前日か前々日くらいですね。その後タイムスのサイトにも掲載されます。
メンバーは開会式の直前まで変更可能なため、実際のメンバーとは異なってることがしばしばです。
会場で売られてる各校の名簿のパンフレットの登録メンバーは、印刷の関係で提出がかなり前なので
学校によってはメンバーがガラリと変わってる場合も時々ありますね。でも全部員の名前が出てますので便利です。
メンバーは開会式の直前まで変更可能なため、実際のメンバーとは異なってることがしばしばです。
会場で売られてる各校の名簿のパンフレットの登録メンバーは、印刷の関係で提出がかなり前なので
学校によってはメンバーがガラリと変わってる場合も時々ありますね。でも全部員の名前が出てますので便利です。
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今日は那覇高校です!数々の話題を振りまいた夏の甲子園初出場から
はや10年の歳月が流れました・・・。今年創立100周年を迎え「夢よもう一度!」と
燃えている那覇高校、この夏はどんなチームなんでしょうか?ぜひご覧下さい!
はや10年の歳月が流れました・・・。今年創立100周年を迎え「夢よもう一度!」と
燃えている那覇高校、この夏はどんなチームなんでしょうか?ぜひご覧下さい!
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あの時の監督は誰だっけ?
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インターネットで検索したら10年前の琉球新報電子版が
出て来て「那覇高校池村監督・・・」という記述があります!
もう10年前の出来事ですから、今はもうどこかへ転勤されて
いるでしょうねぇ・・・。
出て来て「那覇高校池村監督・・・」という記述があります!
もう10年前の出来事ですから、今はもうどこかへ転勤されて
いるでしょうねぇ・・・。
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三年前に岡山地裁から有罪判決喰らったよ。
懲役1年6月、執行猶予3年。
監督はできないんじゃないか?
懲役1年6月、執行猶予3年。
監督はできないんじゃないか?
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いよいよ開幕!
6月11日に抽選が決定し、19日開幕する高校野球!
興南高校が順調に春・夏出場を決めるのか?
はたまた、王者興南をどこかが破るのか?破るのはどこなのか?
大変ワクワク、ドキドキする大会に成りそうです!
頑張れ高校球児!
6月11日に抽選が決定し、19日開幕する高校野球!
興南高校が順調に春・夏出場を決めるのか?
はたまた、王者興南をどこかが破るのか?破るのはどこなのか?
大変ワクワク、ドキドキする大会に成りそうです!
頑張れ高校球児!
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何で有罪判決が下ったのですか?
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第92回全国高校野球選手権沖縄大会は来週、組み合わせ抽選会が行われます。
現在のように1県1代表制になったのは1975年(昭和50年)からで、それ以前は沖縄大会で優勝しても東九州大会(1953年~1957年)、あるいは南九州大会(1959年~1974年)の二次予選で勝たなければ甲子園には行けませんでした。
東九州大会は大分代表と、南九州大会は宮崎代表とそれぞれ甲子園への出場権をかけて戦いました。
1950年代から1970年代前半にかけて、沖縄の代表校は九州大会に出てもコールド負けしなければ上出来といわれるほど弱く、実際、東九州大会では沖縄の代表校は一度も勝ったことがありません。
1958年は第40回の記念大会ということもあり、二次予選を経ずに沖縄から首里高校が甲子園に出場しました。
これが沖縄県勢として初の甲子園出場となったわけです。
1959年以降は宮崎代表と甲子園出場をかけて二次予選を行ってきましたが、1959年以降も沖縄県勢は宮崎県勢にことごとく敗れ去っていました。
ちなみに1959年から1974年にかけての東九州大会、南九州大会の沖縄県勢の成績は2勝15敗と、まったく振るいませんでした。
沖縄県勢が実力で甲子園出場を勝ち取ったのは、1962年(昭和37年)の沖縄高校(現沖縄尚学)が最初です。
沖縄高校は沖縄大会決勝で首里高校を4-2で破り、宮崎県営球場で行われた南九州大会で宮崎代表の大淀高校を4-2で下して見事、自力で甲子園出場を果たしました。
1932年(昭和7年)に正式加盟し、「甲子園」への道が開けてから30年。やっと自力による甲子園出場が果たせました。
沖縄高校が夏の甲子園へ自力出場を果たす前は首里高校が第40回記念大会と第45回記念大会に、興南が第50回記念大会に、前原が第55回記念大会にそれぞれ出場していますが、記念大会という節目の大会だったので南九州大会(二次予選)を経ないでの甲子園出場でした。
当時の沖縄高校野球界は「実力で甲子園へ」が合言葉だったため、沖縄高校が宮崎代表の大淀高校を破って沖縄の高校野球史上初めて自力による甲子園出場を果たしたことは沖縄中が大いに沸きました。
沖縄高校ナインは遠征費の関係もあって、宮崎から沖縄に帰ることなく、熊本で調整しながらそのまま甲子園入り。
甲子園では大会4日目の第3試合で、強豪の広陵高校(広島)と対戦しました。
試合は6回まで4-4の熱戦。結局は4-6と惜敗したものの、九州大会でコールド負けが多かった当時の沖縄の高校野球レベルから考えれば大善戦といえるものでした。
7月18日に宮崎に向け出発してから1カ月余り。
沖縄高校ナインは8月25日に那覇丸で凱旋しました。
泊港には狭い構内を埋め尽くすほどの人垣で、初めて海を渡ってきた南九州代表旗を先頭にタラップを下りる選手たちに、ひと際大きな拍手が送られ、その後、国際通りを通って那覇市国場の同校までのパレードにも、沿道は大勢の人が繰り出して、沖縄高校の健闘を称えました。
今でいえば、沖縄尚学や興南が甲子園で優勝して帰ってくるのと同じような光景といっても過言ではないでしょう。
当時の弱かった時代を思えば、沖縄高校が自力で甲子園出場を果たしたことは沖縄の高校野球界にとって「快挙」ともいえるもので、その快挙の立役者は沖縄県民の誰もが知っている元プロ野球選手で、沖縄が生んだ偉大な名投手・安仁屋宗八氏(元広島→阪神)だったことは言うまでもありません。
現在のように1県1代表制になったのは1975年(昭和50年)からで、それ以前は沖縄大会で優勝しても東九州大会(1953年~1957年)、あるいは南九州大会(1959年~1974年)の二次予選で勝たなければ甲子園には行けませんでした。
東九州大会は大分代表と、南九州大会は宮崎代表とそれぞれ甲子園への出場権をかけて戦いました。
1950年代から1970年代前半にかけて、沖縄の代表校は九州大会に出てもコールド負けしなければ上出来といわれるほど弱く、実際、東九州大会では沖縄の代表校は一度も勝ったことがありません。
1958年は第40回の記念大会ということもあり、二次予選を経ずに沖縄から首里高校が甲子園に出場しました。
これが沖縄県勢として初の甲子園出場となったわけです。
1959年以降は宮崎代表と甲子園出場をかけて二次予選を行ってきましたが、1959年以降も沖縄県勢は宮崎県勢にことごとく敗れ去っていました。
ちなみに1959年から1974年にかけての東九州大会、南九州大会の沖縄県勢の成績は2勝15敗と、まったく振るいませんでした。
沖縄県勢が実力で甲子園出場を勝ち取ったのは、1962年(昭和37年)の沖縄高校(現沖縄尚学)が最初です。
沖縄高校は沖縄大会決勝で首里高校を4-2で破り、宮崎県営球場で行われた南九州大会で宮崎代表の大淀高校を4-2で下して見事、自力で甲子園出場を果たしました。
1932年(昭和7年)に正式加盟し、「甲子園」への道が開けてから30年。やっと自力による甲子園出場が果たせました。
沖縄高校が夏の甲子園へ自力出場を果たす前は首里高校が第40回記念大会と第45回記念大会に、興南が第50回記念大会に、前原が第55回記念大会にそれぞれ出場していますが、記念大会という節目の大会だったので南九州大会(二次予選)を経ないでの甲子園出場でした。
当時の沖縄高校野球界は「実力で甲子園へ」が合言葉だったため、沖縄高校が宮崎代表の大淀高校を破って沖縄の高校野球史上初めて自力による甲子園出場を果たしたことは沖縄中が大いに沸きました。
沖縄高校ナインは遠征費の関係もあって、宮崎から沖縄に帰ることなく、熊本で調整しながらそのまま甲子園入り。
甲子園では大会4日目の第3試合で、強豪の広陵高校(広島)と対戦しました。
試合は6回まで4-4の熱戦。結局は4-6と惜敗したものの、九州大会でコールド負けが多かった当時の沖縄の高校野球レベルから考えれば大善戦といえるものでした。
7月18日に宮崎に向け出発してから1カ月余り。
沖縄高校ナインは8月25日に那覇丸で凱旋しました。
泊港には狭い構内を埋め尽くすほどの人垣で、初めて海を渡ってきた南九州代表旗を先頭にタラップを下りる選手たちに、ひと際大きな拍手が送られ、その後、国際通りを通って那覇市国場の同校までのパレードにも、沿道は大勢の人が繰り出して、沖縄高校の健闘を称えました。
今でいえば、沖縄尚学や興南が甲子園で優勝して帰ってくるのと同じような光景といっても過言ではないでしょう。
当時の弱かった時代を思えば、沖縄高校が自力で甲子園出場を果たしたことは沖縄の高校野球界にとって「快挙」ともいえるもので、その快挙の立役者は沖縄県民の誰もが知っている元プロ野球選手で、沖縄が生んだ偉大な名投手・安仁屋宗八氏(元広島→阪神)だったことは言うまでもありません。
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