夏の甲子園 県予選のベスト4は?そして優勝は? [7061]
作成者:マリン
作成日時:2005/04/11 15:15:15
さて、夏の大会まであとわずか。
秋季大会、春季大会終えて、
あとはいよいよ夏季大会。
夏の甲子園、今年の県代表校は?
投稿メッセージを表示( 7061 件中 5981 件 〜 5995 件目)
楽しみです。
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1110みたいなやつは毎年出てくる。多分本気で何かに取り掛かった事がないかわいそうな人。野球だけじゃなく、サッカー、バスケ、その他の部活やスポーツ、またはバイトや仕事で汗水垂らす。その過程が大事なのでは?結果はすぐにでる人もいるし、なかなか出ない人もいる。でも何かをやりとげる。その方が大事なのはないでしょうか?多分1110みたいな人には分からないでしょうけどね。
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興南を倒す練習してきた好チームだが… その前に好チーム同士潰しあい
本当は激戦区で 貫禄勝ちしてほしかった
沖水 対 沖尚 これはヤバい! 勿体ない 頭脳的で沖○だろう。
ラジオカー 登場してほしい!
本当は激戦区で 貫禄勝ちしてほしかった
沖水 対 沖尚 これはヤバい! 勿体ない 頭脳的で沖○だろう。
ラジオカー 登場してほしい!
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この前の宜野湾球場試合 西原高校予想外いい
西原 投手00?延長10回よく一人で投げ粘り勝ち
打力は789が出て得点 西原中軸は 浦工投手に全くタイミング合わず××
しかし 延長10回 西原4番島袋の二塁打からさよなら勝利
西原00投手と西原強力打線がかみあうと 中商 糸満も
なめたら 逆にコールドもありうる 西原高校強し
西原 投手00?延長10回よく一人で投げ粘り勝ち
打力は789が出て得点 西原中軸は 浦工投手に全くタイミング合わず××
しかし 延長10回 西原4番島袋の二塁打からさよなら勝利
西原00投手と西原強力打線がかみあうと 中商 糸満も
なめたら 逆にコールドもありうる 西原高校強し
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興南
美里
八重山
沖縄尚学
糸満
中部商業
美里
八重山
沖縄尚学
糸満
中部商業
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今週末は好カード目白押し。
興南−浦添
美里−真和志
八重山−沖縄工業
沖縄水産−沖縄尚学
糸満−八重山商工
西原−中部商業
興南−浦添
美里−真和志
八重山−沖縄工業
沖縄水産−沖縄尚学
糸満−八重山商工
西原−中部商業
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小禄だと思う
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三回戦注目カード 日曜日第二試合
西原対中商 このカードは投手および打力とも
引けをとらないチーム
予想では3点内の打力の勝負と見る
いよいよ三回戦 さあーどう戦うか
西原対中商 このカードは投手および打力とも
引けをとらないチーム
予想では3点内の打力の勝負と見る
いよいよ三回戦 さあーどう戦うか
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興南の優勝と糸満の準優勝が確実なので、あまり盛り上がらないですね
その他、61校の選手たちは高校時代の思い出作りのために頑張ってください
その他、61校の選手たちは高校時代の思い出作りのために頑張ってください
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2回戦の真和志-美里
好カードですが
どちらとも興南との対戦を見たいチームなので
2回戦での対戦はもったいないような気もします。
好カードですが
どちらとも興南との対戦を見たいチームなので
2回戦での対戦はもったいないような気もします。
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何を根拠に沖水。
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毎年ベスト4にはいってる沖縄水産がそろそろ出ると思うわ
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興南の4季連続の甲子園になるかな。
準決勝で浦添商業と当たるなら
浦添商業が勝つ気がします。
準決勝で浦添商業と当たるなら
浦添商業が勝つ気がします。
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抽選の結果 下のブロックがどう勝ち上がってくる
特にBブロック西原対糸満 Dブロック 興南対美里戦
が見たい
どうころぶか
Aブロック 小禄 沖水
Bブロック 糸満 西原
Cブロック 嘉手納 浦商
Dブロック 興南 美里
強打力NO:1西原中軸と浦商中軸がどう勝ち進むか
注目
特にBブロック西原対糸満 Dブロック 興南対美里戦
が見たい
どうころぶか
Aブロック 小禄 沖水
Bブロック 糸満 西原
Cブロック 嘉手納 浦商
Dブロック 興南 美里
強打力NO:1西原中軸と浦商中軸がどう勝ち進むか
注目
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名護の平安山良克主将が甲子園で選手宣誓をしたのは1972年(昭和47年)の夏の大会だけです。
1972年(昭和47年)春の選抜では1回戦で松江商(島根)の2年生左腕の中林投手の前にわずか3安打に抑えられ、3-1で敗れました。
翌年に同じく春夏連続甲子園に出場した前原もそうですが、バッティングマシンが全国的に普及し始める前の1970年代前半までのチームは打力に大きな課題がありました。
これは沖縄のチームに限った話ではなく、当時の甲子園大会のスコアを見ると、今の時代と違って3点以内のロースコアの試合が非常に多いことに気づきます。
つまり、好投手と当たれば完封されるか1点ないし2点しか取れないという試合が多かったですね。
1968年(昭和43年)に甲子園ベスト4を果たした興南は別ですが、沖縄のチームが打力もつけてきたなという印象を持ったのは1975年春に甲子園に出た豊見城あたりからです。
話は名護に戻りますが、名護が甲子園に出た年は沖縄が本土に復帰したということで、それを記念して沖縄で優勝すれば無条件で甲子園に出場できると思ったのですが、節目に当たる記念大会ではなかったために、やはり南九州予選(二次予選)で勝たなければ甲子園には行けませんでした。
本土復帰の年に宮崎代表を下して実力で甲子園に行けたことはとてもよかったと思います。
また、1960年代の沖縄県勢はチームの平均身長も166センチ前後と小柄な選手が多かったようですが、この年の名護は170センチ前後あったのではないでしょうか。
首里が沖縄県勢として初めて甲子園に行ったときの平均身長は162センチだったといわれ、ベンチ入りメンバーで170センチを超えていたのは一人だけだったそうです。
ちなみに、沖縄の選手が甲子園で選手宣誓をしたのは1958年(昭和33年)の仲宗根弘主将(首里)、1960年(昭和35年)の牧志清順主将(那覇)、1972年(昭和47年)の平安山良克主将の3人です。
1972年(昭和47年)春の選抜では1回戦で松江商(島根)の2年生左腕の中林投手の前にわずか3安打に抑えられ、3-1で敗れました。
翌年に同じく春夏連続甲子園に出場した前原もそうですが、バッティングマシンが全国的に普及し始める前の1970年代前半までのチームは打力に大きな課題がありました。
これは沖縄のチームに限った話ではなく、当時の甲子園大会のスコアを見ると、今の時代と違って3点以内のロースコアの試合が非常に多いことに気づきます。
つまり、好投手と当たれば完封されるか1点ないし2点しか取れないという試合が多かったですね。
1968年(昭和43年)に甲子園ベスト4を果たした興南は別ですが、沖縄のチームが打力もつけてきたなという印象を持ったのは1975年春に甲子園に出た豊見城あたりからです。
話は名護に戻りますが、名護が甲子園に出た年は沖縄が本土に復帰したということで、それを記念して沖縄で優勝すれば無条件で甲子園に出場できると思ったのですが、節目に当たる記念大会ではなかったために、やはり南九州予選(二次予選)で勝たなければ甲子園には行けませんでした。
本土復帰の年に宮崎代表を下して実力で甲子園に行けたことはとてもよかったと思います。
また、1960年代の沖縄県勢はチームの平均身長も166センチ前後と小柄な選手が多かったようですが、この年の名護は170センチ前後あったのではないでしょうか。
首里が沖縄県勢として初めて甲子園に行ったときの平均身長は162センチだったといわれ、ベンチ入りメンバーで170センチを超えていたのは一人だけだったそうです。
ちなみに、沖縄の選手が甲子園で選手宣誓をしたのは1958年(昭和33年)の仲宗根弘主将(首里)、1960年(昭和35年)の牧志清順主将(那覇)、1972年(昭和47年)の平安山良克主将の3人です。
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