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こんばんわ
投稿者: [203.211.240.25]
投稿日時:2007/06/11 20:42:10 |
【質問の中の俺の存在】
さて、俺の存在を問われていますが、リアルの世界では政治家や人をまとめる立場の人の発言には【責任と立場】は確かに存在し,それらを軽んじていると思われる方々も確かにいます
問うたら答える、答えたら問い返す。このやり取りは当たり前と認識しているので特別な驚きの感情は持っていません
違和感に感じる部分は、提示した問いの奥に「あなたの自身の存在」の人格を求める所にあります。
ポイ捨て常習犯がポイ捨てはダメと主張する。
お前が言うなと払いのければそこで終わり。
しかしポイ捨て常習犯が主張した問題は現実問題として考えなければいけない事である。
これはポイ捨て常習犯でもそれを拾う人でも提示している問題を考える材料を投げかけている部分は共通しています
俺が言いたいことはこれと同じ性格です
しかし、俺は俺自身の存在の証明を掲示板ではどうやっても証明できません。
ここに書き込んでいる俺は貴方かもしれませんし、貴方は俺かもしれません。
自作自演でやいのやいの騒いでいるだけかもしれません。
実のところ俺がリアルでは基地反対派であり、貴方が基地容認派かもしれません。
提示した問題の奧に人格・存在・立場といった主観で感じた違和感を求められても何を持って証明したらよいのでしょうか?
しかし今まで上げられた内容は【立場が不明】であろうと【誰が書き込んでいようと】確かにそこにある問題です
俺と貴兄のやり取りは【立場が不明】であろうと【誰かが書き込んでいようと】考えていかなければならない現実です
よって発言に俺の存在が感じられずとも問題は無いとしたわけです。
もちろんケースに寄りけりではあるのでしょうが
(前回と同じ事を言っているような気もしますが・・・・・)
貴兄が危惧されているのは、【一方的に教え込む状況】とそれを鵜呑みにするリテラシー無さから生じる【大衆意思】でしょうが
部分を持って全体となすと言う危惧と、発言の奥に垣間見られず、証明できない俺の存在・立場を一緒につなげて考えるのは筋違いであり、論点のすり替えでしょう。
問題を呈するなら別軸で考えるべきではありませんか?
俺自身(部分を持って全体となす)の考えは過去レスで否定しています
しかし、全体をみて部分を見ないのも、まったく同様の危険性をはらみます
【さらに言えば集団的自衛権を行使できるような価値もない】
疑問符だらけです。
問われるのは自衛隊の危機管理の無さで、危惧すべきはこの結果から生じる提携国と信頼関係が損なわれることであり
集団的自衛権の存在価値までは否定できないでしょう?
これこそ(部分をもって全体となす)の危険性ではないですか?
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えっ
投稿者:? [202.219.253.71]
投稿日時:2007/06/11 14:08:41 |
: さんと校さんって同じPCホストだったんですか?
知らなかったぁぁ |
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おはようございます
投稿者: [222.7.57.147]
投稿日時:2007/06/11 10:14:48 |
全体的に読んで先ず思った事は、10年後はますます人間の鎖は繋がらないだろうなと感じましたね
PAC3の搬入に反対する中、北朝鮮の核実験ニュース。
自衛手段に反対と核実験ニュースを同時に見た人達の目にはどう映ったでしょうか?
現実を目の当たりにしたはずです
自衛に積極的も消極的もなく、不測の事態には万全を期す。
この当たり前の態度を積極的と捉えて疑問視するのであれば、一方からは利敵行為と相手にされず、一方からは武器を持つぐらいなら死んだほうがマシと主張するカルト集団にしか見えません (貴兄がそういった極論を主張しているとは言ってません)
20数年前の早朝はシュプレ行進が当たり前でしたが、今は見掛けなくなりました。
反対の正当な叫びは、周辺諸国問題を部分でしかないと跳ね除け、包括的・具体性のある考え方も示さない正に思考停止と呼ぶに相応しい考えによって関心を持たれなくなっている。
近い将来俺はこう言っているでしょう
「あぁ、昔は人間の鎖なんてもんもあったね。取り囲んでいた連中は繋がらない原因を平和に興味がないだの、利益ばかりを追及しているだの、と地団駄踏んで悔しがっていたが・・・・あの人達はいま何処で何しているんだか?」
続きは長くなるので後ほど
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もう寝ます
投稿者:。。。。。。。 [218.113.228.116]
投稿日時:2007/06/11 02:49:58 |
これまで長々と書いてきましたが、 私が「偉そうに」しているという印象を持ってしまったら申し訳ありません。
あなたは私のことを「貴兄」と読んだが、 それもまた言説から判断できる事ではありません。 もしかしたら私はあなたよりも年下かもしれないし、 同級生かもしれないし、または女性であるかもしれないし、 ただの冷やかしであるかもしれない。
この場所で妙な価値観を前提に話はしたくないので あえて何も言いません。
わたしの言うこともぜひ細部まで疑ってください。
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長くてすみません
投稿者:。。。。。。。 [218.113.228.116]
投稿日時:2007/06/11 02:40:52 |
「教育」について説明するとなると、歴史的教育観の変遷やら教育勅語やら日本国憲法やら 教育基本法やら学習指導要領やら(これは関係ないかも)なんやらかんやら、
さまざまな観点から論述していかねばなりませんが、ここでは省略させてください。
しかし、だいたいの一般常識として挙げると、 戦前の教育には「自分で考え、行動する」という行為は許されていなかったということがあります。
何かを書くのも、何かを作るのも、すべて国益に繋がるように要求されていました。 そして国民は思考する力を奪われる形となり、「何か変だ」と感じても何も成す術がなかった。 それがそのまま流れ、小さなひずみが大きな歪みになって戦争に発展しました。
そしてあまりにも多くのものを失いました。 その大きすぎる代償で得た一番大きなものは「繰り返してはならない」という認識であり、 そして、新しい人間観の基にある「教育」だったのです。
戦後、私たちは「考える主体をつくるための教育」を受けることができるようになりました。 いかによりよい人生を送るかを「自分で考え、行動する権利」を得ました。
だからこそ、「新しいものを作り出す力」を得たのです。 もし、日本の教育がゆがむことなくずっと発展深化できていたなら、 そもそも戦争は起こらず、やはり産業はもっと進化することが出来ていた事でしょう。
歴史に「もし」はないとよく言われます。起こったことは変わらない事実です。 そして「歴史は繰り返す」とも言われます。 戦争は約50〜100年周期で起こってきた、それは人間が「忘れるから」です。 人間は学習する生きものであり、そして学び続けなければ簡単に忘れる生き物です。
現代はもう簡単に過去を忘れ去る事ができない時代になりました。
だからこそ今からまた「教育」を見直し、私たちは学び続けなければならないのです。
現行の教育にもさまざまな課題があり、本質を見失っているところがある。 そして変わろうとしている教育にも「何かおかしいところ」がある。
私はこの時代に、あなたのように若く、理論立ててものごとを捉えようとする人間が必要だと考えます。
あなたは反対派運動を展開する活動家たちの抽象的な表現や行き過ぎた行動に疑問を 覚えた、そして、今何が必要なのかを考えました。 そして私はあなたの理論に対して疑問に思うところを展開し、その中であなたの中にに少なからずも 「戦争は得策ではない」という希望にも似た考えがあることを認めることが出来ました。
私は「人間の鎖」の現場に立ち会っていました。しかし鎖に参加できなかった。 まだ私にもあなたとは逆の葛藤があることを自分の中に認めるからです。 根本的な考え方は恐らく変わりませんが、、 私はもっと国際間の緊張や軍事政策について勉強しなければならないのかもしれません。
私は個人的に関心を持って報道や文献を整理して調べたり、各種活動に注目したりしていますが、 最近は「平和学」という学問が開かれてきており、大変興味深いものも多くあります。 「平和学」によれば、あなたが疑問視してきた「武力行使反対派」の理論がかなりの 現実的レベルまで引き下げられて展開されていることがわかります。 平和学はあらゆる学問が総体的に組み合わさって連携しあう学問のようですから、自然科学や 社会科学、経済学、ジェンダー思想など、さまざまな観点からものごとを見る力を養えると思います。 わたしもぜひ機会があれば学んでみたいと考えています。
ただ、大事なのは「何のために学ぶのか」ということを見失ってはいけないと言う事です。 私たちは知恵比べをするために勉強するわけではないからです。
私は右にも左にも行こうとは思いません。 あなたに右にも左にも言って欲しいとは思いません。
何かに流されるのではなく、どちらかに偏るのでもなく、 「自分がどう生きたいか」でものごとを選択すれば、 おのずと全てが自分に関わっている事を知ることになります。
私は「軍事力」ではなく「教育」に心血を注ぐ事が国の最大の義務であると考えます。
私にとって、「積極的」自衛権の行使の是非についてあなたと話し合えた事は大変有意義なことでした。
まずはお互いにもっと「健全なる猜疑心」を育てることから呼びかけたいと思います。
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続き
投稿者:。。。。。。。 [218.113.228.116]
投稿日時:2007/06/11 01:22:33 |
「消極的な自衛権の行使」という言葉について
人間やその他の「生命」を引き換えにするという行為は どのような場合であれ全面に押し出すことは許されるべきものではありません。
「実際に武力行為によって国民に死者が出ないと自衛権を行使しないのでしょうか?」 私自身、自衛権自体を現時点で全面撤廃することは現実的ではないと考えます。 ですからここで問題にしているのは「自衛権」ではなくそのまえの「積極的」という言葉なのです。
実際に武力行為がなされたとして、なぜその時日本は武力を行使されたかについて考えてみましょう。 私は以下のことを想定しました。 ・侵略行為 ・自国の不利益を解消するため ・けん制のため(やられる前にやる) 他にもあるかもしれませんが、総合的に考えてみても、「自分から戦争をしかける」という行為にはまず「国家間の外交の失敗」が あるということがわかります。
戦争にも「開戦時にはその国に対して通告する」という一定のルールがありますね。 もし仮にA国が「侵略」目的で他国に攻撃をするという場合、その国は国際的ルールを遵守できない国と見なされます。 よってA国が対象とした国以外の国にとっても、A国は「脅威」として認識され、自国が国際的に孤立してもかまわないほど、 かなりの勝算や利点でもない限り、A国に協力する国は出てこないでしょう。(一部の人間の利潤としてはありうるかもしれませんが、 許されない行為ということに変わりありません) 現在のグローバル化した経済や物資の流通事情において、国際的に孤立するということは即死活問題に直結します。 「侵略行為」は武力行使で自国エネルギーを大量に消費しその上その間の国益の生産は完全にストップさせると言うことです。 かなりのエネルギーを自国で自給できなければ「侵略行為」は成立させることができない。 いくら「常識の通じない国」と揶揄されても、一応国際的に国家として扱われ国際会議にも席が用意される国が、 そのリスクを認識もしていないとは考えられません。 いずれにせよ目的に「侵略」がある場合、そのような大きな動きが全く察知されることなく進行するのは無理でしょう。 仮にも侵略されるかもしれないとしたとき、「侵略行為」が前提としてあるのであれば日本がたった三国と「積極的に」自衛しなくても 世界中がその動きに対してけん制する意思をみせるはずです。 「世界が守ってくれるから」と言いたいのではなく、「侵略」というケースにおいては世界中が対応すべき問題であると言う点から、 武力行為に及ばれる前に国際間で外交上の連携をとって対応することが最善策だということです。 今まで述べた意見の繰り返しになりますが、現在でも国際間で日本の軍事力は(軍備の豊富さという点で)一目置かれている状態です。 「戦えないわけではない、しかし戦いたくないからもっと話し合おう」というような軍事力を全面に押し出さない自衛の形は 「消極的自衛権」といえるでしょう。
ではその武力行使に消極的な姿勢のまま、可能な限りの最善策を尽くすためには?
まさに
あなたがお花畑発言だとした「産業の価値」にあるのです。
戦後、敗戦国家である日本が現在のように国際間でも重要な国であると認識されているのは、 「日本の産業」が抜きん出て優れたものだったからです。 製品の生産に限界まで上質さを求め、常に向上させる努力を怠らず、「どこに出してもはずかしくないもの」を 日本の産業は世界に発信し続けてきました。規模の大小はありますが、精密機械、医療、経済流通、通信技術など、 その内容は多岐にわたり、またその他にも文化的交流や技術指導も「産業」が生み出すネットワークの一つです。
この強みは是非とも「積極的に」打ち出し、さらに磨き続けなければなりません。
追いつかれればまた一歩素晴らしいものを創るだけの、その技術力と想像力こそ日本の強みだと言えます。 日本が誇るべき本当の価値とは、武力誇示の軍事力でも外交のかけ引きで他国をあげつらうことでもなく、 まさに「人がつくりだすもの」にあるのです。 世界の中における日本の価値はこういった点からアプローチし、まさにその形で「国防」とするべきなのです。
あなたが「稚拙かもしれない」と前置きしたのは「理想論かもしれない」という含みもあったことだろうと思います。 しかし、私やあなたが今自分の力でこの国のためにできることがあるとすれば、こういったことに関心を持ち続け、 社会の中で新しい事やものをつくろうとする姿勢でものごとを捉え、考えて動くことが、一番「現実的」ではないでしょうか。
そして人が何かを創り出すときの拠り所となるのが「教育」です。
日本の技術力は戦争があったからこそ持ちえたもではなかったか?という問いがあればその答えはNOです。 もし戦争が無ければ日本は古代から受け継いだ歴史ある物品や建造物を失うことなく、 戦争が費やし消し去ってしまった人命や自然や技術や時間の分だけもっと発展する事ができたでしょう。 第二次世界大戦後、日本が確かに認識し新しいものを獲得できたとすれば、それは
「今までの教育観は間違いではなかったか」ということです。
あまりにも長いので次に!
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つづき
投稿者:。。。。。。。 [218.113.228.116]
投稿日時:2007/06/08 23:36:24 |
主義主張には責任がつきまとうという件についてもう少し。 私は「言ったんだから責任とって行けよ」とは「絶対に」言いません。 しかし、発言には必ず反応が生まれます。 実際、あなたがはじめに発言したとき、私のようなどこの誰かもわからない人間がこれほどまでに あなたの発言に対して執着して反応をするとは思っていなかったでしょう。
匿名性の高いネット社会、それもこのような掲示板の中での発言に責任を求めるのは筋違いと言われるかもしれません。 しかし、ネットで発言すると言う事はそれこそ世界全体に発信されるということです。 さらに言えば、日本語を読めるのは日本人だけではない。 少なくともこのようなデリケートな問題を扱うのであれば、部分でしか知らないことに対して責任も手放して 発言することは文字通り無責任です。なぜならあなたの主張はすでに問題提起の域を超えて「説明」を試みているからです。
自衛隊の不祥事についての指摘ですが、わたしは「不祥事」をやり玉に挙げたつもりはありません。 あえて言うならその個人が起こした不祥事は自衛隊全体の機密に関わる「データの流出」です。自衛隊全体の 管理体制が問われても仕方ないことでしょう。そんな意識のままでは自国さえ守ることは出来ないし、 さらに言えば集団的自衛権を行使できるような価値もない。この個人の不祥事は全体を揺るがす大きな事件です。
平和活動家がサーキュレーターを外す行為について私はあなたの文言でしか判断できない。 もみ合っているうちに外れたのか、人命を奪う意図を持って外したのかもわかりません。よってこの発言に対しては否定も肯定もしません。
「今は軍隊が必要だと言う支持はいつまで続くかと言う問いへの回答」に対して。 「銃を持つのはやめろ、さもないと撃つぞ」という状態で銃を捨てられるでしょうか。 せめて「銃をおろしてくれ、こちらも撃ちたくはない」という姿勢で譲歩を求めるのが外交上の正攻法ではないかと考えます。 拉致被害については実際に被害に苦しんだ方々がいる、その救済には力強く主張せねばなりません。 しかしそれと同時に考えたいのは何故あのようなことが起きたのかです。 拉致した理由は?工作員の教育をせねばならなかった理由は?この国の社会構造は?人民は?思想は?さらに経済的情況は?諸外国との関係は? あの国は社会体制が特異ですから、世界の「常識」とされるものは通用しないかもしれない。 しかしそれだけに「常識から脱却した新しい方法」であるいは何らかの展開が望めるかもしれません。 それは外交上の経済援助や制裁でもなく、また軍事力による威嚇でもないかもしれない。
何万もの国民を抱えるひとつの国が、自国に100パーセント不利な情況で譲歩するという情況は、 歴史的に見れば「戦争が起こってしまった後」にしか起こっていない。 相手の譲歩を前提に入れた軍事力威嚇の保持は出口の無い不毛なものです。 よってあなたの意見では「今は軍隊が必要だ」という支持をそれこそ恒久的にし続けなければならないのではないでしょうか。
外交努力に対して真摯に向き合わないのは諸外国とありますね。国際舞台という場所で直接的な対話を拒む国ももちろんあります。 しかし、わたしはあなた自身の言葉の中に希望を見出します。 「一緒に考えるとは相手の言い分側に立ち、自分の主張を一歩引いた場所から見る事からはじまるのではありませんか?」 この発言はまさに話し合いの基本だといえます。素晴らしい観点です。 さらに言えば「国」という場所の中には必ず「人の暮らし」があります。 だから、政府同士の「こんなに努力したんだから」という主張もとりあえず飲み込んで、「双方の国民のために」国家や機関は もっと努力しなければなりません。 対人地雷についてですが、日本は地雷は持たずに地雷と同様の殺傷能力があるクラスター爆弾は大量に保持しています。 地雷もそのクラスター爆弾も非人道的な武器です。 クラスター爆弾についての会議は全面廃絶のための会議ではなく、せめて不発するものが多く戦後に市民を死傷する問題がある 旧型のクラスター爆弾については世界的に所持を禁止しようというものでした。
日本がクラスター爆弾は防衛上必要だとして「待った」をかけました。よってこの会議には結論は出ていません。 (おそらくあとのクラスター爆弾に関する質問は発言は純粋な質問でなく、「武器は地雷だけではないのでは」と問いたかったのだと思われます)
こんなに長くなってしまってすみません。 続きはまた明日書かせてください。
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こんばんは〜
投稿者:。。。。。。。 [218.113.228.116]
投稿日時:2007/06/08 03:04:43 |
ひとつひとつに回答ありがとうございます。細かなデータの提示も素晴らしいと思いました。
ただ、私の問いかけが表面的に受け取られて回答されている点がいくつかお見受けできるので、もう少しお話させてください。
まず、「戦争に行きたくないというのは感情論だ」という指摘から。 わたし自身の言い方ではダダをこねているように思われても仕方ありませんが、 「戦争を拒否する権利」ならば今なら自由に主張できる。私は自分がこの社会、あるいは将来的に「国際社会で生きる選択肢」の一つとして、 この権利を行使したいと考えています。
そして、私があなたの意見にあなた自身の存在を問うたのは、あなたの感情を引き出して論理矛盾をつこうと考えたからではありません。 あなたの理論があなた自身の何に裏打ちされたものだったのかが単純に知りたかったからです。
世の中の多くの人は、政治や経済に不思議なほど無関心です。 この国が直面する問題に対して、あなたが真摯に思索することは評価されるべき位置にあると言えるでしょう。 思索の末の結論があなたの展開する論理であるということももちろん理解しているつもりです。
しかし「主張に俺の存在が無くても問題はないと思いますが?」という発言は 少し残念に思いました。
皮肉でも何でもなく、発言にはいつでもどんな時でも「責任」がついてまわります。
「この薬すごく強いから飲めよ、俺は飲むかわからんけど」なんて大事な人に勧められないでしょう? 国防を唱えるときも同じでしょう。自衛隊員だってどこからか招かれた人ではないのだから「自衛隊員は戦うべきだ、 俺は参加しないかもしれないが」という主張も正当性を欠いてしまう。
自分の発言に対して自分自身がどのような立場で臨むか、そこに人は反応し、感化されます。 わたしがしきりに心配しているのは「わからない」ことを誰かに教えてしまうこと。「わからないまま」 「部分」が「全面」に押し出されよくわからないまま戻れなくなる事です。 あなたの発言がどのくらい厚みのあるものなのかは、結局そこに立ち現れるあなた自身の存在なのです。
次。
集団的自衛権保持のメリットとして「徴兵制度の抑止」効果と「自国軍事力の増強抑止」効果を期待することについて。 今の時点で入隊率が少ないのだから、実際に武力行使が想定された自衛隊に応募で入隊し一過性的な食いつなぎでない意識を持って訓練に耐えうる日本人が どれほどいるかということに疑問を感じる、という趣旨で発言しました。現在と同じような募集方式によって外国勢と軍事提携を結んで価値があるほどの人員が確保できるとも思えません。 任意で人員が確保のであれば政府は必要なままに徴兵制度を導入するだろうと私は考えます。 自衛隊員が断って平和活動にいそしんでも問題ないのも今だけでしょう。いや、今でも「監視対象者」になる可能性だってある。 「軍事提携ですからノウハウが叩き込まれるのは当たり前かと思われますし」私も当然だと思います。叩き込まれれば嫌でも強くなるのでは? ですから「自国軍事力の増強抑止」というメリットとは真逆だと指摘させてもらいました。
あなたとわたしでは前提にしていることが異なるのでこの発言は平行線を辿るかも知れませんが、 丸腰の相手を攻撃しようとすればその攻撃者は「侵略者」であり、非難の的になります。 どんな立場にあっても周囲から孤立する事は避けたいはずです。侵略という行為が今日明日で突然始まるとは考えにくい。 では逆にただでさえ注視している相手が「積極的に戦えるんだよ」という意思を見せ始めたら? 剣の鞘を握り締め直しませんか?よけいに注視し、緊張するのではないでしょうか。
次。 「そもそも戦争に善悪など無く」ではなぜイラク戦争は始まったのでしょうか。 「悪の枢軸」という発言は「民主主義の正義」が絶対的な「正義」という価値観を掲げたからこそ生まれました。 話し合いが通じなかったから戦争が起こりました、それが「理由」で死者は毎日のようにでます。 でも仕方ないんです、そもそも善悪なんて無いから。これでは理由にはなりえないし、人の命の代償として 説明責任を負った発言とは認められない。
外交と国防は表裏一体だという考えはある意味支持できます。ですが、 国防=ミリタリズムという考え方については疑問視します。 私は「外交の失敗」の先に「戦争」があると考えます。
続きは明日!
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おはようございます
投稿者: [222.7.57.151]
投稿日時:2007/06/07 12:33:33 |
解釈につぐ解釈でよくわからない状況には確かにあります。
例えは防衛省はイージス艦のデータリンクは軍事提携にはあたらないと解釈していますが、俺自身あれは集団的自衛権の行使により生じた状況だと考えます
積極的と言うニュアンスを疑問視するのであれば、ある種の言葉遊びが生じてしまい、もう一つの自衛パターンも想定しないといけません
【消極的な自衛権の行使】
自衛するのに消極的とはこれいかに?
実際に武力脅威によって国民に死者がでないと自衛権を行使しないのでしょうか?
自衛・外交努力は常に万全な体制で全力を持ってあたらなければならないのが【国の義務】であると考えます よって説明の中で積極的と言う言葉が出てもなんら問題は無いのではないでしょうか?
集団的自衛権にシフトしていかずに安全な状況を作り出す考えは、その道の人から見れば稚拙でしょうが以下の通りです
集団的自衛権のもう一つのポイントである、自国が武力脅威に曝されたら自動的に協力国の支援が確定する
例えて中国が日本に武力攻撃を行使すると同時に日、米、豪が協力しあう
中国はその3国を相手に軍事・外交を展開せねばならない状況に自動的に陥る
この状況を軍事力に特化せずに生み出すためには?
【国防産業】にあると考えます。
軍事特需産業ではなく外国の石油基地を自国に持つであったり、外国のサーバを自国内で運用する。 第三国からみても武力脅威に曝されてはいけない付加価値を持てばある意味集団的自衛権に繋がるのではないでしょうか?
書いていて赤面するほどお花畑発言だと自分でも思いますが
ただ基地反対派にはこのような代替策と一緒に反対を主張して貰いたい
平和が欲しい 武器はいらない 自分が戦争参加するのは嫌だ
ごもっともです。しかしこれだけの主張では広い支持は得られません
反対派と容認派。どちらの言い分にも理はあります。 正論vs正論と言っても過言ではありません
しかし基地反対派には容認派を平和に興味が無く、いかにも悪として捉えていると見受けられます。
自衛に絡む問題点を排除するのでは無く、それらも包括しての反対主張であれば人間の鎖は繋がっていたのかもしれません |
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ありゃま2
投稿者:… [210.153.84.225]
投稿日時:2007/06/06 22:04:28 |
「積極的」のあるのとないのとでは大きな差があるように思う。貴君自身「よくわからない」と言う主旨の発言をしておられる。 防衛は必要かも知れない、しかし緊張状態が続くのであれば尚更「積極的」というニュアンスは避けるべきではないか。そいで軍備より外交に繋がるコトにお金も時間もかける。国際協力・教育・福祉etc。戦争に変わる具体策は短いスパンでは捉えにくい根気のいる作業の連続だからいつも鼻で笑われるけど。でも戦争やるよりは生産的に思える。貴君のも是非聞きたい!敵と味方じゃないんだし教えてくれると大変有り難いです。 |
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