沖縄のラーメン [184]
作成者:まさる
作成日時:2003/07/24 15:48:00
沖縄のおすすめラーメン屋さんをおしえて
投稿メッセージを表示( 184 件中 56 件 〜 70 件目)
熊ぼっこは、どこにあるのですか。
是非、行ってみたいです。
熊本ラーメンですか?
是非、行ってみたいです。
熊本ラーメンですか?
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鳥と豚の2種類の餃子がありますが、自分は鳥が好きですね。豚は普通でした。
まあー、試しに両方食べてみたらいかがですか?
まあー、試しに両方食べてみたらいかがですか?
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上原やオイシかった!!なんか半額とかのキャンペーンのときにいったんだけど、別にそんなに高くなかったし結構いいとおもう☆こんどはギョーザ食べに行こうかと思うんですけど食べたことあるひといますか?
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トンコツ味なら「ちむドンドン」がおいし
いよ。店内がトンコツ独特の香りをかもし
だしているけど、おいしいこと間違いなし!
トンコツの本場(福岡?)と同じ臭い!!
学生時代の楽しい思い出が蘇ってくるっチャ!!
味噌味なら美浜にある「追立丸(はやてま
る)」がおいしいよ。県内一の味噌味だと
思うよ。
いよ。店内がトンコツ独特の香りをかもし
だしているけど、おいしいこと間違いなし!
トンコツの本場(福岡?)と同じ臭い!!
学生時代の楽しい思い出が蘇ってくるっチャ!!
味噌味なら美浜にある「追立丸(はやてま
る)」がおいしいよ。県内一の味噌味だと
思うよ。
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永大安と札幌屋(ギョウザもうまい!!)
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場所は那覇空港側から来て、豊見城警察署を過ぎて最初の信号を右に曲がって、ずっとまっすぐ行ったらありますよ。
定休日と営業時間は今度行った時に調べておきます。
定休日と営業時間は今度行った時に調べておきます。
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沖縄に帰ります。
そしたらちむドンドンと熊ぼっ子と上原屋に行ってみたいので
詳しい場所と、定休日や営業時間を教えてもらえると助かります☆
そしたらちむドンドンと熊ぼっ子と上原屋に行ってみたいので
詳しい場所と、定休日や営業時間を教えてもらえると助かります☆
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どこにあるんですか?
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上原屋の味噌ラーメンは美味しかったよ。友達は塩が美味しかったって。
あっちの接客は結構おもしろいですよ。
あっちの接客は結構おもしろいですよ。
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とってもおいしいと思う!
けど、くさいよね・・・
けど、くさいよね・・・
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ラーメンがおいしいってうわさでよ
ぜひ行ってみて下さい
前行ったら看板がラーメン食堂熊ぼっ子に
変わっていました
ぜひ行ってみて下さい
前行ったら看板がラーメン食堂熊ぼっ子に
変わっていました
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国際にあるちむドンドンうまいよ〜!!
とんこつラーメンだからとんこつを煮てる
臭いが犬くさくて無理って人もいるけど、
味はマジでうまいです♪♪
とんこつらーめんだと沖縄?ですね!!
餃子もうまいからだまされたと思っていってみて
とんこつラーメンだからとんこつを煮てる
臭いが犬くさくて無理って人もいるけど、
味はマジでうまいです♪♪
とんこつらーめんだと沖縄?ですね!!
餃子もうまいからだまされたと思っていってみて
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首里城有料区域のご案内 -- (友の会はこちらです)
◇開館時間
・夏期(3月〜11月)/9:00〜18:00(入館締切17:30)
・冬期(12月〜2月)/9:00〜17:30(入館締切17:00)
◇年中無休
◇入館料金
・大人 一般800円(団体640円)
・中人(中高校生) 一般600円(団体480円)
・小人(小・中学生)一般300円(団体240円)
※6歳未満は無料。団体扱いは30人以上
◇イベント
・首里城迎春の宴(1月2日〜3日)
琉球王朝時代の正月行事に関連した催事と郷土芸能。
・首里城公園子供まつり(4月29日〜5月5日)
沖縄の伝統的遊びや郷土芸能を子供達に紹介。
・首里城夏まつり(8月中旬)
夜間開園を伴う夏まつりで、コンサートや花火大会など。
・首里城祭(11月1日〜3日)
琉球王朝絵巻行列や宮廷芸能等を再現。
◇開館時間
・夏期(3月〜11月)/9:00〜18:00(入館締切17:30)
・冬期(12月〜2月)/9:00〜17:30(入館締切17:00)
◇年中無休
◇入館料金
・大人 一般800円(団体640円)
・中人(中高校生) 一般600円(団体480円)
・小人(小・中学生)一般300円(団体240円)
※6歳未満は無料。団体扱いは30人以上
◇イベント
・首里城迎春の宴(1月2日〜3日)
琉球王朝時代の正月行事に関連した催事と郷土芸能。
・首里城公園子供まつり(4月29日〜5月5日)
沖縄の伝統的遊びや郷土芸能を子供達に紹介。
・首里城夏まつり(8月中旬)
夜間開園を伴う夏まつりで、コンサートや花火大会など。
・首里城祭(11月1日〜3日)
琉球王朝絵巻行列や宮廷芸能等を再現。
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繁栄と
悲しみの都
大いなる王国の歴史をきざみ、人々のくらしを見つづけてきた首里城は、いつごろだれによって築かれたのかわかりません。
尚巴志(しょう はし)の三山統一のあと、国王の城と定められた首里城は、美しい王都首里の町とともに大いにさかえ、きらびやかな王朝文化をうみだし、そこでくりひろげられてきた琉球国の躍動感あふれるドラマを私たちに伝えてくれます。
第一尚氏王統(しょうしおうとう)七代と第二尚氏王統19代の国王の居城として、500年近くも琉球を支配してきた首里城の歴史は、先人たちの喜びや悲しみに彩られ、私たちをロマンの旅へと手をそえて導いてくれます。
戦いを勝ちとった者の喜びの声、やぶれ去る者の無念のさけびが、首里の頂きの古城の
跡から聞こえてくるようです。
戦争の前まで、美しい正殿が古城にひっそりとたち、先人たちが伝えてきた歴史を静かに
語りつづけてきたのですが、はげしい戦闘であとかたもなく消えてしまいました。
王国の夜明け
●按司の誕生
四世紀ごろになると、日本本土では豪族のおさめる国がたくさんあらわれ、やがてそれが、勢いの強い豪族を中心にして、より大きな一つの国にまとまり、政治を行うようになっていました。ところが私たちの琉球列島では、まだ貝塚時代がつづいていました。
こうした私たちの祖先が、やがて稲作の技術をおぼえ、人々が定まったところに住みつき、各部落を中心とする生活がはじまります。そして、部落の指導者である頭を「根人(ねびと)」とよび、この人の家を「根所(ねどころ)」とよぶようになります。根人は、部落のしごとや共同作業などをさしずするようになるのです。
こうした部落としての社会がだんだん発展して力が強くなっていくと、根人のなかには、本土の大和朝廷に貢物などをおくって、日本本土とのむすびつきを深めていく者もあらわれてきます。大和朝廷では、このような私たちの祖先のことを「南島人」とよんでいました。このような交流が記録として残されているのが七世紀ごろからで、奈良時代(714年11月)に南島人52人が奈良の都に行ったことが記録されています。
さて、生産力が高くなり本土との交流もいっそう力の強くなってきた根人は、やがてほかの部落も支配するようになります。こうした大きい地域を支配し指導するようになった大指導者は「按司(あじ)」とよばれるようになります。だいたい10〜20ほどの部落の土地と住民を支配し、そのひろさは現在の町村かあるいはそのほぼ半分ぐらいであっただろうといわれています。
13世紀ごろになると、これらの按司たちは、海外との交易を活発に行ない、グスクをさかんに築くようになります。日本本土では鎌倉時代にあたります。
悲しみの都
大いなる王国の歴史をきざみ、人々のくらしを見つづけてきた首里城は、いつごろだれによって築かれたのかわかりません。
尚巴志(しょう はし)の三山統一のあと、国王の城と定められた首里城は、美しい王都首里の町とともに大いにさかえ、きらびやかな王朝文化をうみだし、そこでくりひろげられてきた琉球国の躍動感あふれるドラマを私たちに伝えてくれます。
第一尚氏王統(しょうしおうとう)七代と第二尚氏王統19代の国王の居城として、500年近くも琉球を支配してきた首里城の歴史は、先人たちの喜びや悲しみに彩られ、私たちをロマンの旅へと手をそえて導いてくれます。
戦いを勝ちとった者の喜びの声、やぶれ去る者の無念のさけびが、首里の頂きの古城の
跡から聞こえてくるようです。
戦争の前まで、美しい正殿が古城にひっそりとたち、先人たちが伝えてきた歴史を静かに
語りつづけてきたのですが、はげしい戦闘であとかたもなく消えてしまいました。
王国の夜明け
●按司の誕生
四世紀ごろになると、日本本土では豪族のおさめる国がたくさんあらわれ、やがてそれが、勢いの強い豪族を中心にして、より大きな一つの国にまとまり、政治を行うようになっていました。ところが私たちの琉球列島では、まだ貝塚時代がつづいていました。
こうした私たちの祖先が、やがて稲作の技術をおぼえ、人々が定まったところに住みつき、各部落を中心とする生活がはじまります。そして、部落の指導者である頭を「根人(ねびと)」とよび、この人の家を「根所(ねどころ)」とよぶようになります。根人は、部落のしごとや共同作業などをさしずするようになるのです。
こうした部落としての社会がだんだん発展して力が強くなっていくと、根人のなかには、本土の大和朝廷に貢物などをおくって、日本本土とのむすびつきを深めていく者もあらわれてきます。大和朝廷では、このような私たちの祖先のことを「南島人」とよんでいました。このような交流が記録として残されているのが七世紀ごろからで、奈良時代(714年11月)に南島人52人が奈良の都に行ったことが記録されています。
さて、生産力が高くなり本土との交流もいっそう力の強くなってきた根人は、やがてほかの部落も支配するようになります。こうした大きい地域を支配し指導するようになった大指導者は「按司(あじ)」とよばれるようになります。だいたい10〜20ほどの部落の土地と住民を支配し、そのひろさは現在の町村かあるいはそのほぼ半分ぐらいであっただろうといわれています。
13世紀ごろになると、これらの按司たちは、海外との交易を活発に行ない、グスクをさかんに築くようになります。日本本土では鎌倉時代にあたります。
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