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名前: | プレイバック7 |
メッセージ: | 沖縄水産時代、春夏を通じて4回も甲子園に出場し沖水全盛期を支えた快速球投手。 1985年の1年の夏からベンチ入りし、甲子園では3回戦の鹿児島商工戦でエースの安里投手をリリーフしたもののサヨナラ暴投で甲子園でビューを飾れず。1年生ながら快速球をビシビシ投げ込み観客をうならせる。 翌年の2年のセンバツでは1−3と初戦敗退したものの、上宮(大阪)戦で150キロ近い快速球を投げ、相手の監督から「聞きしに勝る好投手」と驚嘆の声が上がったほど。 その年の夏には2回戦で帯広三条(北北海道)を12−1、3回戦で京都商を14−0で破りベスト8に進出。しかし名門・松山商(愛媛)に3−4のサヨナラ負けを喫する。 翌年の5月に沖縄で行われた招待試合では、このとき敗れた松山商に7−2で勝ち、リベンジを果たした。 そして最後となった3年夏の甲子園。初戦で函館有斗(南北海道)を3−2で辛くも破り2回戦に勝ち進んだが、この大会で準優勝した常総学院(茨城)に0−7で敗れ、「上原晃の甲子園」は幕を下ろした。 しかし、それから2ヵ月後の10月に地元・沖縄で開催された「海邦国体」で常総学院と再び顔を合わせることとなり、3−2で沖水が雪辱を果たすことになる。 結局、この国体では決勝で帝京(東京)に敗れ準優勝に終わったが、その年のドラフトで中日から3位指名を受けプロ入りした。 |
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