メッセージ:赤嶺賢勇さんの削除依頼
以下のメッセージを削除依頼します。 | |
タイトル: | 赤嶺賢勇さん |
名前: | 当時を知る者 |
メッセージ: | 昭和50年代前半、全国に「豊見城旋風」を巻き起こした赤嶺賢勇さんが一番印象に残ります。赤嶺さんは2年春、3年春、夏と3回甲子園に出場し、豊見城を2度ベスト8に進出させた名投手でした。 特に2年の春には初戦で優勝候補といわれた習志野(千葉)を3−0の2安打完封。3回戦では日大山形を4−2で下し、準々決勝ではあの原辰徳(元巨人)がいた東海大相模と対戦。9回2死まで13個の三振を奪い、無得点に抑えていましたが、そこから連打を許し結局まさかの逆転負け(1−2)。 沖縄県民にとっても忘れられない悔しい試合として後世に語り継がれています。 この大会をきっかけに、赤嶺さんは全国から注目され、「沖縄の星」「甲子園のアイドル」とも呼ばれるようになり、雑誌の表紙に扱われたり週刊誌などでも紹介されるようになりました。 その当時、豊見城高校野球部はまさに芸能人顔負けの人気だったのをいまでも覚えています。 赤嶺賢勇さんは、沖縄が生んだ最大のスーパースターだったと言っても過言ではないでしょう。 |