メッセージ:沖縄でキャンプはまるで米軍の「響く威嚇発砲」の削除依頼
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タイトル: | 沖縄でキャンプはまるで米軍の「響く威嚇発砲」 |
名前: | しかし、「ひるまぬ民衆」だった |
メッセージ: | 記事内容はこうです寒風が吹く40年前のコザ市上地の路上、安里嗣則さん(70)=当時30歳=は興奮状態の群衆の中で、木箱に立ち、演説を始めた。 「女性暴行、れき殺事故。基地に逃げれば罪にも問われない。沖縄人は犬猫扱いか!」 コザ騒動の発端となった人身事故の現場は、既に千人規模の群衆で埋め尽くされた。 「今日はどこの店も忘年会をしている。中の町に行って、(騒ぎを)知らせてこい」と同僚に指示を飛ばした。 その一ヶ月後、「騒動の首謀者」の疑いで、高校教師ながら、捜査本部に逮捕された。 高教祖の青年部長。祖国復帰運動の先頭に立っていた。米軍の事件・事故の被害は守るべき生徒たちにも及ぶ。怒りが体を動かし、騒動を鎮圧しようと出動してきた武装米兵に石を投げ付けていた。 沿道の年寄りは歩道のれんがをはがして割り、女性たちが破片を男に届け、男たちは武装米兵へ投げ付ける。 周囲の建物の屋上からも投石が始まり、米兵は鎮圧もできず、約1キロにわたって後退した。 (略) 逮捕された安里さんは、騒動のの終盤で「目的は達成した。解散すべきだ」と、群衆に呼び掛けたことが認められ、不起訴となった。 教壇に戻り、野球指導に力を入れた。2000年、沖縄国際大学の野球部監督に就任した。 そして04年8月。練習を終え、帰宅直後のテレビで米軍普天間飛行場のヘリが大学に墜落したことを知った。 映像には黒煙と騒ぐ米兵。瞬時にコザ騒動を思い出し、付近に住む部員の安否確認を急いだ。 現在も大学グラウンド上空をヘリが超低空飛行で横切る。安里さんは「守るべき教え子を守れないかもしれない。基地の重圧は40年前と変わらない」と嘆いた。 (中部支社・新崎哲史=25面に関連) |