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メッセージ:1971年の選抜に出場した普天間は前年の秋季九州大会1回戦で佐世保工(長崎)に3-0で敗れたものの、当時の佐伯達夫・日本高野連会長がわざわざ普天間にやって来て「沖縄からも一校」という鶴の一声で選抜出場が決まったという逸話がある。
普天間は本番の選抜では初戦で弘前(青森)を3-2で破り、沖縄県勢として選抜初勝利を挙げた。
2回戦では、この大会で優勝した日大三と対戦。追いつ追われつの大接戦を演じたが普天間は惜しくも7-6で敗れた。
優勝した日大三はこの普天間戦以外はオール完封勝ちだったこともあって、優勝校と互角の試合をした普天間の大健闘は大会の話題にもなった。
普天間はその後、夏の沖縄大会でも優勝し、宮崎の都城農と「南九州代表」をかけて地元の沖縄で代表決定戦を行ったが、惜しくも1-0で敗れ、春夏連続甲子園出場は叶わなかった。
当時、この試合を奥武山球場の三塁側スタンドで観戦していたが、内野スタンドは超満員で外野スタンドにも大勢の観客がいたことを覚えている。
自分が高校野球を生観戦した初めての試合がこの普天間-都城農。
普天間は玉城-島袋のバッテリーを中心によくまとまったチームで、初戦敗退が当たり前だった当時の沖縄の高校野球レベルを考えれば、普天間が沖縄県勢として初めて選抜で勝った弘前戦と優勝した日大三を最後まで苦しめた試合は強く印象に残っている。
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