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名前: | 匿名 |
メッセージ: | 古代はアジア圏の知識人、 鑑真和尚、日本の学識らに ウチナフアと呼ばれた。 中世に登場した琉球は、 台湾を小琉球、 南西諸島を大琉球と呼んでいた。 南西諸島の人々が支配する 広大な海域のウチナンチュの 活動にリスペクトが あったのではないか。 シナや台湾には ウチナンチュのような海洋で 活動する文化がなかった。 アラビア人種の航海士や欧州、 海外の地図にはグランド琉球など、 やはり大琉球が一般的だった 台湾人も大きな海の南西諸島を 大琉球と呼んで親しんでいた。 ただし、南西諸島を『琉球王国』と 発言した第一尚家、第二尚家の 歴代権力者も、住民もいなかった。 中山関連の歴史書にも そうした記録はない。 『琉球王国』という国名。 方言だと、リュウチュウ ウウクク となるが、誰も聞いたこともない。 そんな国は無い。 |