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メッセージ:沖縄が本土に復帰した翌年(1973年)に開催された若夏国体(復帰記念特別国体)には、当時「怪物」と騒がれた、あの江川卓投手を擁する作新学院(栃木)も出場しました。
1973年5月に開催された若夏国体の高校野球(硬式)は那覇市の奥武山球場と首里石嶺球場で行われ、作新学院(栃木)、星稜(石川)、中京商(岐阜)、岩国(山口)、高知商(高知)、宮崎実(宮崎)、前原(沖縄)、豊見城(沖縄)の8校が参加しました。
沖縄初の国体ということと、怪物・江川卓投手が沖縄にやって来るということで、沖縄では大変な盛り上がりとなり、首里石嶺球場での公式練習では怪物・江川を見るために黒山の人だかりとなったというエピソードも残っています。
江川は、この若夏国体が行われるわずか1カ月余り前の選抜で優勝候補にも挙げられていた北陽(大阪)から19三振を奪い、2回戦の小倉南(福岡)戦でも7回を投げ10奪三振、準々決勝の今治西(愛媛)戦でも20奪三振と快投を見せ、準決勝の広島商戦でも11三振を奪い、計60奪三振という選抜大会記録をつくりました。
この記録は48年が経過した今でも破られない大記録です。
当時の高校野球のレベルとしては次元の違う快速球を投げていた怪物・江川卓でしたが、この若夏国体では初戦で岩国と対戦し0-1で敗れました。
地元・沖縄から出場した選抜出場校の前原は星稜と対戦し、0-5で初戦敗退。
同じく地元・沖縄から出場した豊見城も中京商と対戦し、2-3で初戦敗退しています。
長年、高校野球を見てきて、個人的には江川卓のストレートが一番速かったように思います。 、
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