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メッセージ:多くの本土の方々:ナイチャーと会話を繰り返してきた中で
本土復帰直後、沖縄人を、「太平洋戦争」で多くの犠牲をはらい、その後基地の重圧に翻弄される悲劇の民族として語る人々は圧倒的に多かったと記憶してます。
でも、最近は違ってきました。

ナイチャー:本国と連動して経済成長の恩恵を受けながらひた走りに駆け抜け、その復興と隆盛を成し遂げた人々


ウチナーンチュ:大自然に囲まれ、平和を愛し、独特な芸能・文化を守り、優しく包容力に富んでいてせかせかしないのどかな人々


そんな側面から語られることのほうが、最近では多くなってきているような気がしています。
まあ、バブル崩壊後の今は、互いに不況、不況と経済的に四苦八苦している身ですが。こんな境遇も共有する一国民としてまとまりつつあるのを感じるようになったのは、ごくごく最近からでしょう。

結局、
沖縄の人々を見る目、沖縄と接することへの意識が変化してきたということ、あるいは、ナイチャーを見る目、ナイチャーへの誤解が解かれてきたことの現れなのでしょうね。
戦後で世代が移り変わり、今では「本土の人」とか「沖縄の人」とかの選別をしながら付き合う若い世代は少なくなっています。

息子や娘の近場の小学生や中学生の友人関係を見てみても、
特段に
「ヤマトンチュ=ナイチャー」とか、「しまんちゅ=うちなーんちゅ」という意識を持ってつきあっているようには全く見えません。偏見なんて全く見当たらないようにも伺えます。
子どもらがお互い純粋に仲良く付き合っているのを見ているとうらやましくもなります。
けんかするにしても、相手を悪く言うときに「ナイチャーだから」という言い方はしません。

人として、気が合うか合わないか、
友だちとして好きなのか嫌いなのか、
親切なのか、そうでないのか・・・・・・・・・・

といった、普遍的な価値観できちんと相手を見て付き合っているんですね・・・・。


戦争の体験を直に聞き、復帰闘争に明け暮れた60年代〜70年代の父母・教師たちの教育を受け、その価値観に触れた経験のある私達。
それが今の沖縄を支えている世代、沖縄社会の全般的な傾向なのです。
だからと言って今の沖縄戦後世代で働き盛りのうちなーんちゅは、偏見でこり固まった人間ばかりではありません。そうでない人間ももちろんいます。
ひとくくりで「沖縄の人間は こうだ!」なんて決め付けた言い方はできません。
でも沖縄へ移住を考える方々には、どちらかと言えばそのような「偏見を抱えたうちなーんちゅ」の心に触れることからはじめることが大切だと思うんです。
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